2021年02月11日

山の神

「1歳の息子を突然亡くしました…。ただ、そこには何か神さまが絡んでいる気がして…、時間外予約で、二時間御相談の予約を入れたいのです…。」

言葉を選びながら、詰まりながら、やっとの思いで、お電話をかけて来られているのが伝わって来ました。と、同時にこのケースは私しか解決できないと感じました。

 

 

「では、2月7日日曜日10時にどうぞ。」

 

 

時間外予約は、初穂料を倍額申し受けますから、速く(すみやけく)ご案内差し上げたいところでしたが、この時期は殆どの日が、星祭り等を時間外枠にまで入れ込んでいるため、その終了時間から2時間となると、きちんと視るためには、私のエネルギーが持たないと思い、少しお待たせしましたがその日にご案内させて頂いたのです。

 

そして、2月7日が来ました。

母親は、自らの伝え方に不備が無いように、また自身を落ち着かせるように従容として話を始めました。

「その日の夜は、夫が10時から11時半頃にかけて、息子を寝かしつけてくれました。夜になり、熱が上がって来たためか夫に抱き着くように眠ったそうです。私も12時に、子どもたちが寝ていることを確認し、家事の為別室へ。12時半、夫が就寝する頃、異常はなく、私がようやく3時半に寝ようと寝室に行った時、異変に気付きました。呼吸が停止していたのです。まだ温かい体に救命措置をし、救急車で病院へ行きました。最終的に“劇症型心筋炎”と診断されたのですが、心臓は綺麗だったにも関わらず、何かしらのウイルスによるものとされ、しかしながら、血液、髄液、肺組織、どこにも菌やウイルスは検出されませんでした。医学的に経験の深い方に聞いても、“劇症型心筋炎”自体が稀な上に、ここまで前兆がないことがあり得ないと…。私は、いろんな方に意見や報告を聞く度に『連れて行かれたとしか思えない…。』何度も何度もそう口にしていました。」

 

相談の用紙には、到底まとまらないであろうのに、御神託を賜わりたいことが律儀にも3つに分けて記してありました。

 

私は、これまで30年程、神仏界と人間界または、霊界と人間界の仲執り持ち役を任されて来ていますから、皆さんが少々言葉足らずでも、今や眼光紙背に徹していると自負しています。ですから、『その立場でなら、大神さまにこのようにお聞きした方がいいのでは?』と思えば、御相談の趣旨を変えることもございます。

 

今回もそんな老婆心に駆られながら、3つに区切ることも出来ない、また3つで終わるはずもない御相談に、御神託を頂戴しました。

 

 

「神を八つ裂きにするからじゃ。そこは、人間が住んではならない場所。この四方八方に走る側溝が、山の神を八つ裂きにしておる。生贄になったなぁ。次はこの子の父親が、脳疾患を起こすぞ。この子の死は警告じゃ。次は、まだ分からんかと、障りは大きく出て父親に掛かるぞ。嫌な言い回しじゃが、死への悲しみは別として、子どもはいなくなってもお金が出て行かないだけじゃ。悲しみが癒えれば、後は困らぬ。しかし、父親がいなくなるとなれば、たちまち生活が立ち行かなくなるぞ。」

 

きっと、住んでいる家の場所に問題があるはず…と、初めから睨んだ通りでした。

この御神託通りだとすると、この地に鎮座する山の神は、父親に障りを掛けることで、ここでの生活が出来なくなるように(ローンが払えず、売却させるなど)して、人間が住まないように(追い払うように)計らっていると感じました。

 

私はここで一旦、託宣を止めました。

 

普通の人には、余りにも怖い表現で私の口が開かされたことで、後ろでメモを取りながら傾聴している母親の嗚咽するのが耳に入って来たのと、最初、相談に入る前から視えていた(捉えさせられていた)白光する側溝のことを直に確認したかったからでした。

 

「この側溝、やけに眩しくて、白さが異常…。ハイターで漂白したみたいな、とても不自然に眩しい。」

これまでの来談者の中にも、側溝の存在が災いしてのケースが多々ありましたので、とにかく私はそれを真っ先に理由とするべきを感じました。

 

それから、続けました。

「実は神道では、山の神は田の神です。稲作が始まる頃、山から降りて来られ、稲の収穫が終わる頃、山にお戻りになられるのです。」

と伝えると、

「家が建つ前、この辺り一帯、田んぼでした。」

と。

「でしょうね。そして、こういった自然霊は祠(ほこら)として祀っていない限り、その辺り一帯におられるので、人間がどのように不浄をかけているか、また不躾をしているか中々分からないものです。今回、この異常なまでに白光している側溝が山の神の上を張り巡り、八つ裂き状態にしたも同然だと大神さまは云われています。その昔、川が氾濫すると水神の祟りだと見なし、それを収めるために『人柱』として生きた人間を川底に沈めていました。ある意味、生贄です。天照大御神から続く神々は、肉体を持っていた為、人間の事情が分かりますから、少し不躾があっても『忙しいもんね。』と理解して待ってくださいます。しかし、自然霊相手だとそういう訳にはいきません。特に水神など、人間が生きて行くのに水は最後まで有難い一方で、津波や河川の氾濫など一たび間違えれば、人間を飲み込む恐ろしい存在と化すのです。」

と、神の寛厳について説きました。

 

そして、また続けました。

「もう、ずっと前のことですが、他の氏子さまの御相談でこんなことがありました。その時も、こうしてお母さまがお運びだったのですが、『娘が交通事故を起こしました。免許を取得したばかりで、スピードを出すことなど考えられない子なのですが、目撃していた後続車のドライバーによると、追い越し禁止車線で次々追い抜きを掛けて行ったようなのです。そして、ついに対向車と正面衝突。娘は、両下肢複雑骨折を始め、何とか下半身の損傷のみで済みましたが、本人曰く“全く覚えていない。”と。不思議でならないのです。』と、いう内容でした。その時の御神託を今でも私は覚えていますが、『山の神、山の神怒っておるぞ。何故、目の前に不浄をした。』そう言わされると同時に、山の神の祠のすぐ目の前に浄化槽を設置していたのが視えたのです。確認すると、その通りでした。つまりは、娘の事故は山の神の障りだったのです。しかし息子さんと違い、何故、そちらは死亡にまで至らなかったのか、それには、二つ理由があります。一つは、そこの山の神の性質がそこまで荒くなかったのでしょう。人間や動物にも個体差があるように、神にも気質があると私は思います。そして、もう一つは、このご家族さま、特にお運びになられたお母さまが、お姑さんからきちんと引き継いで予てより、敷地内や辺りの祠をしっかりと護って来られていたからだと思います。この事例からも分かるように、障りというものが、あるかないかと言えば“ある”のです。そして、神はそれを“分かる人”に掛けます。気付かない人や、信仰心のない人には掛けません。では、今回、こんな訳も分かるはずもない幼子にどうして知らせが掛ったのだろうかと思われるでしょうが、それはですね、息子さんを通してお母さん、あなたに知らせが掛ったのです。あなたは、看護師というサイエンス側の人間でありながら、こうして大神さまの元にすがって来られましたよね。また、自分でも『連れて行かれたとしか思えない。』って何度も思ったって、言われていましたよね。“知らせを掛ける人間”というのは、神が勝手に選びます。勿論、自身に直接知らせが掛ることもありますが、敢えて、より大切な人間に障ることによって、知らせが行くことがあります。そういう場合は、障りが(神の怒りが)大きい時ですね。今回、正しくそのケースで、お母さんは敢えて気付かされる役目だったのです。これまでも、『なんで、私は嫁なのに。』とか『他にも一緒に行った人はいるのに。』なんていうことは、多々ありました。」

 

まだ、私の話は続きます。

「先程、山の神の障りで事故を起こされた娘さんの話をしました。怪我で済んだのは、山の神の気質と予てからの信仰心だと。では、何故、息子さんは“亡くなってしまった”のか、お分かりの通り、こちらの山の神は少し気質が荒いようですね。それと…。」

私は、自分の口調で伝えようとも思いましたが、敢えて神殿に向き直しました。

 

「何故、七五三の祝をすると思うか。男の子は、先ずは三歳まで生きられるか、そういうことじゃ。この子は、人懐っこくて、好奇心旺盛でなぁ…。実は、今回の短い生涯の理由はなぁ、障りと並んで別にまた訳があるのじゃ。先ず、そなたが提供した今回のこの子の肉体はな、所謂“劇症型心筋炎”を死因とし、1年9ヶ月で果てる造りであった。運命と違い、どうやっても変えられない宿命によってじゃ。それをな、『僕、行く。僕、やる!』と言ってな、この子のたましいは何にも深いこと考えずに降りて来たのじゃ。そんなあっけらかんとした子じゃったな。」

大神さまが、そう云われると、

「はい。そんな子でした…。」

「ね?誰にでも行くような、話しかけるような、ひょうきんで…、でしょ?」

「はい…。」

「お母さん、この子は苦しんでいないですよ。『そうだったー!短いよって言われてたんだったー!しょうがないなぁ。』って、ちょっと残念がってますけどね。『言葉も分かって、話せるようにも伝わるようにもなって、面白くなって来たとこだったのにぃ。』って、思ってはいますけどね。ちゃんと、『自分で決めたしなぁ…。』って理解しています。だから、お母さんは、『今度は丈夫な体を造るから、またおいでー‼』ってこの子に念じて、また御主人と新しい家族を迎える計画を持ってください。それからもう一つ、今の住まいを引っ越しする必要などありません。その代わり、またこの子が降りて来た時、もう二度と障りが起きないように、そして御主人に脳疾患の障りが起こらないように、山の神としっかり共存することです。」

 

私はそう言って、山の神がこれ以上、障りを起こさないように、その方法をお教えしました。

「これで障りなど、もう起こるはずないと、この子に、『お母さんたち、山の神さまと仲良しになったよー!だから、安心して降りておいでー‼』って言えるくらいになってください。必ず、新しく生まれる赤ちゃんには、この子のたましいが宿ります。家族には、生まれ変わりだって、分かりますよ。ふとした時に、『あっ!今の瞬間、あの子だった!』って、理屈じゃなくて分かるはずです。受精して、肉体が先に出来て、たましいは、9~10週目位に上から降りてきます。だから、そうですね、ちょうど母子手帳をもらう頃、『ここだよー!おいでー!』って念じてくださいね。そして、お母さんは、ひたすら丈夫な赤ちゃんの肉体を提供するために、自分もしっかり栄養を摂ってくださいね。御夫婦仲良くね。私に言わせれば、またこの子来ますから、今回は予行練習みたいなもので、この子との縁って、実は終わっていないんですよ。」

私は、そう言いながら何故か自然と笑みがこぼれながら、お母さんへたましいを呼び込む術をお教えしました。

 

すると、漸次、この子が私に映像を視せてくれました。

 

「お母さん、この子は虫が大好きでしたね。バッタを捕まえています。好きなことをしているということは、天国にいるということです。天国は、その者の想念で創り出しますから。なので、コオロギもスズムシも一緒にいますよ。季節関係なく。そして、この子の横には、トーマスのおもちゃがありますよ。あと、シルバーグレーの毛の小型犬のワンコも一緒ですね。」

 

そう言うと、

「虫…、好きでした…。トーマス…、プラレールを、亡くなってから買って…、お葬式の日に…ずっと…動かしてあげました…。今、祭壇のところに、箱に入れて置いてあります…。ワンコは…、10年くらい飼っている、まだ生きているんですが、うちの犬です…。そうです、シルバーの毛のマルヨーキーです…。」

 

私に霊視させられたビジョンは、そのままでした。

 

「お母さん、トーマスのおもちゃを箱から出してあげてください。いつでも、この子が遊べるように。そして、今度は、もっといっぱいプリンを食べたいって言っていますから、お供えをしてあげてください。食べられるように、スプーンも準備して、もちろんプリンのカップの蓋も開けて。」

 

 

振り返ると…、

大神さまが御神託の中で、『男の子は三歳までが生きられるか難しいところじゃ。だから、七五三の祝というのがあるのじゃ。』という意味合いを言われていたのですが、なんとこの子は皮肉にも、その七五三のお祝いをするはずだった護国神社でその日に、葬式を挙げることになってしまっていました。

 

その所縁からか、そこ護国神社で御霊祭をし、そのまま神道の方式にて50日祭を斎行し、次の一年祭を待っておりましたから、

「それは違います。元々、先祖代々、仏教なのであれば、簡単に改宗してはなりません。何故なら、“信仰障害”というものが起こるからです。すがるものが無くなったり、変わったりすれば、先祖の御霊は迷います。特に浄土真宗だった場合、“本尊である阿弥陀如来に先祖を(故人を)お願いします”と信仰することで、御霊は極楽浄土に行けるとされています。因みに申し上げますと、私の実家は両家とも神道ですが、神道は業が深いわりに供養が足りません。だから、特に仏教から簡単に形を変えてしまうことは、“供養が減る”ことにもなります。それを、知らないままですと、今度は子孫に信仰障害からくる障りが起こってきます。私は、護国神社の野村浩史宮司とは、親しくさせて頂いています。お母さんが、私のお便りを読んでくださっているなら、故後藤倫太郎さんのことについて書かれてあったものがございましたでしょう?その、倫太郎さんを介しての縁です。私の話をしてください。きっと、深く頷いてくださいます。一年祭までは、神道で御祭しましょう。でも、その後は本来の仏教に戻してくださいね。」

 

二時間という、時間はあっという間でした。

そして、初穂料を厭わず、初めてで時間外枠にも関わらずに、二時間御予約してくださったからこそ、この信仰障害の懸案にまで触れることが出来たのです。何気に、母親が口にした(された)言葉を、私は聞き逃しませんでした。

 

「本当に本当にお時間頂いて、ありがとうございました。初めは、とても恐ろしい気持ちになりましたが、今すべきことがはっきり分かって夫婦共々本当に道が開けたような気持ちです。妊活に関しても『こんなことしてもあの子ではないのに…、いいのだろうか。』など悩みながらで、そのことも御相談に想いを含ませて書いていた内容だったので、答えを頂けて本当にびっくりしてしまいました。そして、大変救われました。ありがとうございました。神さまに許して頂けるように、あの子に戻って来てもらえるように家族でも頑張ります。迷い迷いになってしまうかもしれませんが、その時はまた御相談させて頂きたいです。あの子の誕生日のこの日に、先生の貴重なお時間を頂き、心より感謝申し上げます。」

 

そうなのです。

私がこのお便りの冒頭で、予約を受けた日を強調して認めましたが、予約日として御案内した2月7日は、奇しくも亡き息子さんの誕生日だったのです!

 

そして、その日の夕方のことです。

私はいつもはあまり付けることのない、光テレビのスイッチを入れると、卒爾、『きかんしゃトーマス』が放送されていました。

私は、息子さんからの「伝えてくれてありがとう。」のメッセージだと思い、「分かってるよ。よかったね。」と伝えました。そして、母親にその後、改めて提案をさせて頂きました。

 

「きっと、この子はたくさんの人に愛されることを喜びます。この神職のお便りを、読んでくださる私の氏子さま方は、きっと心を合わせてこの子を偲んでくださいます。前回の“聖職者たるや”で登場された教員へも、知らない氏子さま同士がどれだけ協心していたことでしょう。今回の御相談のことをお便りに書かせて頂けるなら、それ自体がいい御供養になると思うのです。」

すると、折り返しメールにて、

「私も、お便りを読んでいますから、むしろ書いて頂くことが有難いです。『この死を無駄にしたくない。』『こんな子がいたって知ってもらいたい。』とお葬式の時から、ずっと思って悩み悩み発信していました。お便りにさせて頂けるのは、本当に嬉しいです。ありがとうございます。犬のことですが、夫は時々、『あの子がいなくなってから、愛犬がちょっとおかしい。』と時々感じていたみたいです。また、この愛犬ですが、あの子が亡くなる少し前に『心不全』の診断を受け、内服服用中でした。今思えば、それもこの出来事のヒント?だったのではと、思えました。先生のことは、あの子が亡くなった直後ホームページで知りました。でも、何を言われるのだろう…、真実を知るのが怖い…、その時自分がどうなるかが怖いと思い行動できずにいました。そんな時、自分の信頼している先輩が先生に相談していたことをたまたま知り、勇気を出すことが出来ました。先生に御相談出来てよかったです。あの子を知ってくださって、ありがとうございます。大変な中に、お便りにして頂き、本当にありがとうございました。」

と、お返事を頂戴しました。

 

 

そうして、今回のお便りは謹製されました。

私も、これまで以上に想いと時間を掛けて、これだけのお話の内容が形骸化せぬように慎重に認めました。

 

本当は、最終的な病名診断に至るまでの過程も、有り得ないことや起こり得ないこと、また衝撃的であり、不思議だとも思わざるを得ない出来事が、いくつもいくつも連なって起こっていました。御両親は、このお便りに監修・校正を頂く段階で、思い出すのもお辛いでしょうに、何度も何度も丁寧に、時系列に添って私にきちんとお話くださいました。しかしながら、それをどう伝えるべきか、果たしてまたどこまで伝えていいものなのか、私なりに深慮遠謀し、今回の内容とくくらせて頂くことにしました。

 

そこで、日向高千穂神道の心ある氏子さま方に、切にお願いがございます。

名前こそ明かせませんが、この子を偲んでしばし黙とうくださいませんでしょうか。

そして、今はまだ奴婆玉(ぬぼたま)の闇路を辿る心でしょうが、灯がともるように、このお母さま、ご家族さまを覆う浮雲の晴れ渡る日が確実にそこにあらむをば、皆さまの願事(ねぎごと)の一つとして加えてくださいますよう、このをぢなき神職よりお頼み申し上げます。

 

今回は、敢えて写真を添付しませんでした。

1歳9か月の可愛い盛りで急逝となった、家族のアイドル、この男の子をそっと思い浮かべ、偲んで頂きたいと考えました。