2021年03月11日

人が人の…、と、ワニの脳みそ

人が人のことを言う時は、『妬み』『嫉み』があるからです。
それまでの過程や、また現況の裏にどれほどの努力や研鑽があるかも理解せず。

 

私が先に合格を頂きました保育士の国試(合格率3%だったこと)や、これまでの国公的資格の数々に
「元々、覚えがいいんですね。」
と言われる方がいまして、がっかりしました。

 

努力する大変さは、実際に努力した人にしか分かりません。

 

だから、
「頑張ったんですね。」
と認めることが出来る人、言える人は、その人自身も何かしらの成果を努力で収めた経験があるはずです。

 

妬み、嫉みの思考しかできない人間なんて、話になりません。
前回のお便りのメールの人間とは、会話が成り立ちませんでした。
妬み、嫉みが溢れていて、話が先に進まなかったのですから。

 

「あんな人が、いるんですね…。なんか、哀れな人ですね。」
「どう育ったら、あんな人間になるのでしょうか?」
「この人には、御導きなど必要ないですね。ある意味、一人で生きていけそう。」
「よっぽど、予約がしたかったんでしょう。でも、自分の思い通りにならなかったから、攻撃してきたのではないですか?」
「読んでいて、(波動の低さに)気分が悪くなり、毎回楽しみにしているお便りですが、読むのを止めようかと思った程です。」
「前回に続き、本当に悲しくて残念ですね。読んでいて苦しく胸が詰まる思いをしました。」
などなど…

 

お便りを御精読くださった多くの良識ある氏子さま方より、過分な労いを頂戴しました。
ありがとうございました。

 

ずいぶん前、私に起こった話です。

 

ある日、掛かってきた電話でいきなり罵声を浴びせられました。
「あんた!みんなから、なんて言われてるか知ってんの!!」

 

それは、私や私の家族についての私的なことでした。
しかし、その謂れに関して、私たち家族には全く落ち度はなく、ましてや、この女性にお世話になったこともなければ、何の迷惑も掛けていないのですから、もはや“言いがかり“だと気付きました。(あとで知ったのですが、随分と私の周りを嗅ぎまわっていたようです。詳しく教えてくださった方がいて、驚きました。)

 

実はこの女性、この電話の前に数回、大神さまを頼って、神殿へ来談においででした。

 

その際、「他にも同じことをあちこちで訊ねて来たけど、ここ(日向高千穂神道)だけが違うことを言い、それが当たっていた。」という話もされていました。
私はその時それを、『当たっていたのは良いことだろうけど、私がやっていることは占いじゃないので、“当たる”とか“当たらない”という見方をされるのは、本当に嫌だなぁ。』と思って聞いていました。

 

そんな(私なりにお助けした)経緯がありながら、後ろ足で砂をかけられるように、なぜこのような目に遭わなければならないのか、理解に苦しんでいると、この女性が「私も神さまをするの。」ということを主張されていたことを、ふと思い出しました。

 

まるで、何かのスポーツをするみたいに言われましたが、そんな簡単に出来ることではないし。そもそも、しようと思ってすることじゃない。
大神さまに不躾な物言いが癪に障りました。

 

夜、9時過ぎていましたが、私は電話を持ち、リビングから神殿に移動し、大神さまの廣前で、ずっと黙ってその“言いがかり”を聞くことにしました。
相手の声が音割れして聞こえるほど、いきり立って投げつけられるその言葉を傾聴していると、気分が悪くなったので、スピーカーホンにして離したところに置いていました。

 

すると、
「やっかみじゃ。」
大神さまからひと言、託宣を受け取りました。

 

なるほど…。
恐縮しながらも、そう聴解することは難しくありませんでした。

 

確信した私は、こう返しました。

 

「そうですか。こんな遅い時間から、わざわざ私のことを思い、お電話くださり、ありがとうございます。事実でないことばかりで、驚いています。教えて頂いてよかったです。でも、実はですね、○○さんもいろいろ言われているようですよ。今、私におっしゃられた以上に。○○さんも同じ立場と言われるならお分かりになるでしょうが、私たちの立ち位置は特殊で、人から随分と誤解や妬み嫉みを受けるようです。だからお互いに、そういう話を耳にしたら教え合って行きましょうね。もう遅いので、失礼しますね。」

 

あれだけ、まくし立てていらしたのに、私が“お互い気をつけて行きましょうね”という旨を伝えると、急に静かになり、汚言が途絶えたので、そのまま切りました。

 

それからが、私の悟りの日々でした。
私は、何を学べばいい?何に気付くべき??
そう思ったのは、これまでの経験の中から、『悪いことの中にも、必ず好転の作用がある』と学んで来ていたからです。

 

こう思えるようになっていることは、本当に有難いなぁと思えます。
ある意味、客観視することになるので、無駄に落ち込んだり、苦しんだりしないからです。
まぁ、ここに至るまでには紆余曲折ありましたが…。

 

不思議なことに、その日以降の来談者の数名から、なんと○○さんの名前を聞いたのです。
「○○さんから、あんたはもう視たくないから、ここ(日向高千穂神道)へ行ってと言われました。」
と、うちへ初めて来られた強い不安症の高齢女性。

 

確かに、年齢のせいもあってスッと理解してくださらないし、話も二転三転しますから、対峙するこちら側もかなりの根気とエネルギーが要ります。
御神託を聞こえるように、大声で口にしなければならず、それを伝える時は本来、私はトランス状態にありて、そのトーンも声質も大きさも、霊媒として大神さまに委ねるのが自然なので、こういう気を遣うことがあらば、とってもきついのです。
だからと言って、…そうです。○○さんに厄介払いされて来られたようでした。

 

また、別な来談者は、
「○○さんというところに、行ってたんですが、なんかちょっと違うと思っていました。そしたら、今回“次の予約をして帰らないと、何があっても知らないからね!!”と言われたのです。何か、私、されたりするのでしょうか。怖いです…。」
と、言われました。

 

大神さまの計らいとしか思えませんでした。
大神さまは私に何を与えようとしているのか考えました。
そして、私なりにこのように悟ったのです。

 

『○○さんのやっていることは、神ごとではない。少なくとも、私のやっていることと違う。一方的に、妬み嫉みからこんな思いをさせられて、とっても悔しいし、残念だ。でも、ある意味、私も良くないんだ!だって、妬まれるってこと、焼餅を焼かれるってことは、相手に同じレベルだと思われている証拠。到底、張り合えないような相手には、嫉妬する方が恥ずかしいはずだから。つまり、○○さんに今回こんな目に遭った私が、”まだまだ”だってこと、“一緒だと思われていることや私がダメなんだ”ってことを、気付くべきなんだ!!だから、そう思われてると思ったら歯痒いけど、それを受けて、じゃあここで、“何なの!あなたなんかと一緒にしないでよ!!”という考えはしないぞ。よし、“○○さん、どうぞ私を標的にして、ここまでいらしたらいい。でもその時、私はそこにはいませんよ。更に更に上へ高みを目指して上がっていますから。”』

 

私が以前から、街中で勤く接客業やサービス業の方の理不尽な苦悩を慮り、頭が下がりますと申し上げているのは、心からの本音です。どれほどの、思いを受けておられるものか…。
私を始め、知人の神職たちや、そして大神さまの大前でも、悪態をつく人間がいるのですからね…。
以前、コンビニの店員さんに、舌打ちし、偉そうに一万円札を投げつけた人の後ろに並んでいた時、それを見た私は、具合が悪くなり、商品を棚に戻して何も買わずに出たこともあります。

 

「ワニじゃな。」
あの時、大神さまが車に戻った私に言われた意味が、あとで分かった時、失笑したことを忘れません。

 

ワニは、獰猛です。共食いもします。同じ種でありながら、仲間意識はないのです。助け合いもしない、“我先に”と、“欲丸出し”です。

 

何故なら、ワニの脳みそは…。

 

御存じない氏子さま方は、是非検索してみてください!

 

それからというもの、この世の人間界には、ワニが混在していると考えるようにしています。
脳みそのせいで、理解する能力がないから、自省しない、学習もしない、因って自己中心的なんだと。

 

写真は、SDGsのバッジです。
昨年受験した環境管理士の合格通知書も無事頂きました。