神秘的・霊的体験が多く

小さい頃より、神様や妖精、霊の存在に気づいていました。が、現実的な家族を含め、周りの人々に合わせて焦点を当てなくなっていた時期もありました。しかし、こうして神域を預かり始め、日本全国及び外国からもたくさんの方々が(霊能者であり、生業とされている方も)お運び賜る中で、皆さまの体験や苦悩を神秘的に解決することも多いため、やはり私たちの住む三次元以降の世界は存在し、尚且つこの世に混在しているものと実感しています。
大学卒業後、公的な仕事に就いていた頃、通勤の車の中でお経など知らない私の口が勝手に般若心経を唱えていました。(実家はそもそも仏教ではなく神道です。)長い長い大祓祝詞も見たら覚えてしまって、祝詞を奏上しない日が暫く続いても、ちゃんと覚えているのです。後に御神託を賜り分かったことですが、私は幾転生も今日のように神仏に帰依していたらしく、『たましいが覚えていたため』でした。

その頃は霊的現象も多く、寝ようとすると話しかけられたり、集団で騒がれたり。私の体の上で、小さな女の子が腹ばいになり、頬杖をついて顔を覗き込んでいた時はさすがに驚きました。また瞼を閉じると、幾何学模様、梵字、仏像、知らない人たちの顔、知らない場所、神社や仏閣…と、絶え間なく、しかも起きている時より鮮明に映るのですから寝るのが苦手でした。また、意図せずでしたが、よく幽体離脱もしていました。
中でも光。この現象は、今も生じるのですが、多方向から目に鋭い『光の矢』が突き刺さって来るのです。本当に目が痛くて、目が恐くて。手や腕で覆ったり、枕に顔をうずめ、必死に目を護ろうとしても、容赦なくその光は飛び込んで来ました。
実はこれ、『眼開き』という現象であり、皆さんの中でも正しく霊視出来ている人は、体験されたことでしょう。因みに、私には『口開き』という現象もありました。初めは、喉元まで言葉が出掛かっているような、咳が出そうな、ムズムズするような、そんな変な感覚でしたが、次第にそれは言葉(御神託)となりました。
ある時、掃除機をかけていると、突然頭の上から声がしました。「大切な話があります。お前には、天照大御神の分霊を与えています。」と御神託でした。(御神託は無になっていると、よく降りてくるものです。)

その後、『勧請かんじょう』をすることになったのですが、その最中、行ったことも見たことも、ましてや実在することさえも知らない神社や大神さま方が、あまた私の口を通して名を挙げてくださいました。その時握った榊は、数十年経った今でも、葉っぱ一枚落ちていません。(神殿にございます。)
『勧請』をした私には、因縁や低級霊により、次々とことが起こっていました。神さまのフリをして、一方的に言葉を伝えて来たり、“家族が趣味”の私に対し、その家族の中でトラブルや災難を起こされるのです。

そんな中、私の視界には昼夜を問わずある特定の未浄化霊がいました。そこで私は、その頃存じ上げていたある方を訪ねました。すると、「その霊だけじゃない。たくさんの霊が時空を超えてあなたに助けを求めている。供養しなさい。」と言われました。そして続けざまには、「もうすぐあなたに、素晴らしい神様さまが降りてきます。」と、聞いたこともないような荘厳な声で言われたのです。その方も自分の声に驚いていた様子でした。
素直な私は、実家でせねばならない供養をその日のうちに済ませるべく、直行しました。途中、供養されたいたくさんの未浄化霊たちがぞろぞろと列をなし、玄関より入室、所狭しと正座して私の到着を待っているのが、霊視出来ていました。(霊は、自分にとって関係あることならば、人間界のことがリアルタイムで分かるのです。)
浄霊を始めると、未浄化霊たちは次々浄化していきました。香々と煙が立ち昇るかの如く・・。そして最後に、ゲタの跡が背中にくっきりと残る姿で立ち上がったのは、50歳でATLにて急逝した私の父でした。父は成仏を妬まれ踏みつけられていたようです。実家の集落は、自殺者や、事故死者が多く、近くの海も水難事故が多発しており、磁場も悪いせいでしょうか、未浄化霊の溜まり場になっていました。

依代よりしろになりて

その帰りの運転中のことです。フロントガラスに映る景色はそのまま、透明フィルムが重ねてあると想像してみてください。そして、それに字が書いてあるのです!まずは横書きで、『ニニギノミコト』と。消えたと同時に古代神官らしき男性とその妻らしき高貴な女性が現れ、二人の上半身が私の顔面付近に近づいて来ました。それが消えたかと思ったら今度は縦書きで、『スサノオノミコト』とあるのです。またその男性だろうと思える方と、妻だろうと思える方が姿を現せられ、上半身が近づいて来てはじけ、消えると同時に『?仁天皇』と視えました。(今思うと、応仁天皇だったようです。)フロントガラス越しの景色はそのまま、油性マジックで書かれているかのように字はくっきりと、人の姿も写真のように、しっかり目に焼きつけられました。
やがて自宅に着き、落ち着こうとまずはお風呂から入りました。何が起こったのか理解出来ないままに体を洗っていると、湯船にいらっしゃるのです!さっきの古代神官の男性が!!その時も、しっかりハッキリと視えていました。照れることも忘れ、とりあえず私も湯船に入ると真正面に真顔で向き合っておられます。困ったな・・と掛ける言葉を考えていた次の瞬間、自分の意識とは明らかに違う感覚で、脳裏に直接映像を視せられました。さっきまで居た実家の玄関に私自身が立っている映像が視えたかと思うと、その私の頭頂へ、この男性がスーッと入っていったのです。気が付くと湯船は私ひとりでした。しばらく呆然となり、また訳が分からないまま、次に洗顔をしていると、閉じた瞼にさえも分かる程、周りがそれはそれは眩しすぎる黄金の光に溢れていました。私がゆっくり目を開くと、大中小、様々な黄金の観世音菩薩たちに取り囲まれていたのです。聖観音、南無観音、馬頭観音、白衣観音・・。そしてその空間は、自宅の浴室どころではない、上下左右、果てしない広さであり、光溢れる美しいものでした。とても目を開けてはいられないくらいの眩い光なのに目はくらまなかったのですから、この世にありて四次元以降を体感したと思っています。そういえば、高天原遥拝所では、なぜか手を合わせるべきほこらに背を向けて、天を仰ぎ見たことがあります。すると、「しゅよ!」と私の口から言葉が飛び出しました。同時に目の前の青空は、宇宙空間に変わっていました。「汝、こと治めたるか!」と返事が聞こえました。その時は分かりませんでしたが、天孫降臨後の瓊瓊杵尊さまと天照大御神さまとの会話だったと思われます。

天照大御神さまの分霊を与えられたことを知り、瓊瓊杵尊さま・木花咲耶比売さま夫婦、素戔嗚尊さま・櫛名田比売さま夫婦、応神天皇や諸観世音菩薩たちの依代ともなった私は、人間技ではなく、元つ霊感だけでもない、神通力を多分に頂戴していました。今でこそ誤解なきように公式ホームページを設けていますが、これまで長らく口コミだけで、各界から御予約をいただいて来たことが、何よりの証だと自負しています。
※私はこれらの体験を以てこの生業に就かされておりますが、町中にはいい加減で怪しき人や所もあるようです。わざと恐怖をあおったり、常軌を逸した金額を求めたり。中には勝手に家に来てお祓いをし請求したり、また表向きは整体などと称していい加減な霊的内容であったり。性的な被害を受けていた方もおられました。仮にも人の人生を左右するような重要な言の葉を発する立場です。もし、私がただの『霊感あります。』だけならば、恐れ多くて絶対に絶対に無責任に携わってはいないと断言します。(そんなレベルの者たちに惑わされて、私の元へ救いを求めて来られる人々が絶えないのです。)

神域を預かる者として

私は、『霊能者』と言われることが嫌いです。依代でもあるゆえ、自分では准えるならば『霊媒師』だと思っています。だから、以前、全国放送で私の知らないところで、私のことが紹介され話題になった時も、そう呼称されていたことに違和感やそれを通り越して不快感さえ覚えていました。(ある老舗ラーメン屋のレシピを再現するにあたり、最後、オーナーが御神託に頼りようやく完成しました。その時のエピソードがドラマ仕立てで再現されていましたが、そこに映し出されていた“私なのであろう”姿はあまりにも浮世離れしたもので失笑してしまいました。)このエピソードも、これまでのたくさんの事例と共にそのうち紹介して参ります。

「どうしたら、そうなれますか?」「霊感があって良いですね。」羨望の目で見られ、こう言われても、私にはそのような感覚が分かりません。何故なら、お役目として立たされている“誠の人間”からすれば『普通が一番だから』です。私を含め私の知る限り、正しく奉務している役目の者は、所謂『一筋縄ではいかぬ』生き道を歩まされています。自死することも、気が狂うことも許されず、それでいて成すべきは成させられ・・。

例えば古代まだ医者の存在しなかった頃、人々は神事かみごとを頼っていました。その頃の神事は、霊媒(神が降臨する役目で、純粋無垢な知的障害者のような人が多かったようです。)と審神者(さにわと言い、霊媒の言葉が正しいのか、どういう意味なのかを精査し、正しく伝える役目で明敏な頭脳の持ち主が務めていたそうです。)が二人一組で執り行っていたのです。それを今の私たちは一人でこなさねばなりません。だから、どんなに生きにくく逃げたくても、非行に走らされるどころか反対に高い教養を身に付けさせられるものなのです。(識見の高い方もおいでになられます。媒体である私たちは、それなりに引き出しを持たなければならないのです。)ですから、人生折り返しをとっくに過ぎた私ですが、神職の資格のみならず、数多の国家資格、検定資格免許も取得しており、現在もまだまだ日々、自己研鑽に励まされています。

思えば、幼い頃より人生に陶冶されてきました。
夜中に泣きながら神社にすがるような日々、お役目と知り祀ったお宮も仏像も不浄を受け、何度投げつけ壊したことでしょうか。『神に背は向けられないよ。』『あなたがこの世で相談できるのは、神しかいない。』『神事をする役目は変えられないんだよ。』と、どこを訪ねても言われ続け・・。
人は表面だけを注視して”いいとこ取り”をしょうとします。「じゃあ、そうなりたいなら、これだけの苦労や努力も受け入れる?」と聞くと、「それは嫌。」なのです。人間とは、さもしいものです。

神様との向き合い方

神さまは怖くありません。(もちろん私も、不毛に言葉を発するわけではございません。)強いて言えば、神代は『礼と儀』を重んじる世界ではあります。しかしながら、昨今では“感謝と返礼”を忘れ、大神徳おおみのりだけをあやかる人間が目に余ります。スピリチュアルブームより、ずっと前から神域を護り抜いて来ている神職かむづかさたちにも、もちろん大神たちにも。確かに、そのような無礼・不躾を働けば大神等の荒魂あらみたまに触れることにもなるでしょう。しかし反対に、その都度『お礼参りや願い下げ・願ほどき』を神恩感謝となさる方は、有難いことにまた恩頼みたまのふゆを授かって帰られています。
「10年前から知っていましたけど、神さまに何を言われるか怖くて勇気がなくて・・。でも、もっと早く来ればよかった!」というような方も少なくありません。見かねた守護霊に導かれ、同日に美容室でも友人からも私のことを聞かされたようで、「さすがにこれは行けってことかも!」と、おいででした。

神事は『占い』でも『当て物』でもありません。私は、皆さんに『よく当たっている!』とか『あれから、神さまの言われた通りになりました!』などと言われますが、それは大神さまが『正しく伝えているんだよ。だから、ちゃんと受け止めてな。』と仰せられている、パフォーマンスのひとつだと思っています。また、御神託は決して答えを決めつけたり、言いっ放しにすることなどありません。神の叡智とは計り知れず、選択法や消去法、多角的にまた多元的に弾力性のある御神託をいくつもくださいます。皆さんの悩みはそれぞれですから、ご相談される内容に決まりはありません。夫婦問題・子育て問題・恋愛・仕事・人間関係・金銭トラブル・介護・失せ物・調停・裁判・相続・動産不動産購入や売却・転居・行方不明(動物含む)・結婚・不妊・病気・転職・進路・起業開業・事業計画・前世・見た夢の内容・不可思議な体験・故人(亡きペット)の思い・事故の真相・生じたことの意味や受け止め方・など、他にも御神託を賜ることには限りがないのです。
※もちろん、神職として修祓しゅばつ、祈願・祈祷、供養、浄霊などの儀式も多分に斎行しています。

代替で成せる訳ではない為、ご予約日まで少しばかり時間を要することがございます。それでも今世、可能な限り神柱(かむはしら)としての役目であり続けむと大神等と契りを結んでおります故、皆さんにはご理解くださいますようお願い申し上げます。

日向高千穂神道 神司 金城 慶子

神職、作家、社会福祉士、社会福祉主事、精神保健福祉士、登録販売者、保育士、支援教育専門士、発達障害児支援士、認知行動療法士、箱庭療法士、行動心理士、心理カウンセラー、こども環境管理士、福祉住環境コーディネーター、終活ライフケアプランナー、精神・発達障害者しごとサポーター