御相談の時間の流れ

待合室に用意してある用紙“御相談用”にご記入の上、神殿に案内があるまではお待ちください。内容を上手くまとめられなくても大丈夫です。神事の前にお話をお伺いしながら、要約致しますので。(住所や年齢はきちんとお書きください。お願いする側の礼儀として、神さまには、どこの・何歳の・誰かを申し伝えることが大切です。)尚、相談の内容に登場する人物がいれば、名前や生年月日を分かる範囲(不確かなら要りません。)でよいので書いてください。また、故人のことをお聞きする時は、生前の名前と命日(うろ覚えの場合は、何年くらい前でもよい。)を余白に書いてください。
神殿では、用紙と初穂料を添えてお出し頂きます。そして祝詞を奏上する前に、用紙に基づいて問答の時間を設けています。(正しく皆さんの御相談の趣旨を把握するためです。この時、何でも隠さずにお話をしてください。もうそこで霊視に入っていますので。私は、聞きながら大抵答えが分かっています。が、改めて神殿に向き合い、御神託や霊視とそれを重ねて確認します。)その後、祝詞を奏上し御神託を賜るのですが、その時必ずしも皆さんが優先順位として記入した順番でないことがあります。しかし、そこは委ねてください。必ず意味があります。皆さんが重視していないことこそ肝要であったり、全てが繋がって終結したりするものなのです。中には、御神託を長く、たくさん賜り、ひとつの御相談でお時間になることがあります。私の気やエネルギー、また空気の入れ替えなどで、10分前には終了しますので、残り時間では中途半端になるようでしたらそれ以降の御相談は改めてお越し頂いております。(予約を詰めて受けていますから、当日その場で延長は出来ません。)また、「あともう一個いいですか?」と食い下がるのもお止めください。「ご相談者は、あなただけではありません。私のエネルギーにも制限があります。決められた件数をお守りください。」と返すのですが、そのやりとりで10分経ってしまい休めなくなることもしばしば・・。ご理解ください。

御相談の内容に関してのルールついて

「○○のことって分かるんですかぁ?」と挨拶のひと言もなく、名も記さずメールが届くことがありますが、御相談の内容に制限などありません。何でもお訊ねください。
ただし、御予約をされる本人の『自身の悩み』に限るというルールはあります。
例えば、“娘の結婚”とご相談なさる方がいます。これに関して、「娘が結婚を考えているのか、相手がいるのかも分からないから、親としては心配で・・」「娘に私の友人の息子さんを紹介してよいものでしょうか?娘はその気はないのですが、どうしても娘に真剣に結婚を考えて欲しくて・・」このような意図ならば、『人のことを御相談』にされていますが、『相談者自身の悩み』です。
しかし、中には娘本人から「私のことも聞いてきて」と頼まれて御相談する方もいるようです。それは、なりません。なぜなら、娘が自分で大神さまの前においでになるべきだからです。人任せにするような無礼に神代の世界は応えません。と、なると今度はそれを隠してあたかも自身の悩みのように言われる方がおりますが、言語道断です。そもそも、そういった場合、大神さまはそれを見抜かれておられるのでしょう。『お母さん向けの御神託』に留まります。母は、娘とは立っている位置が違うので当然、御神託も意味を成さないのです。
また、仮にも御神託です。伝え手にも技が必要で、変な伝言ゲームになっては困ります。私の知らないところで不正確に伝わっているのに、私から(神さまから)そう言われたとされているのですから、心外です。
因って、自分以外の方の悩みを合わせて御相談することは、お断りしています。(複数名で神殿に入り、それぞれ御相談するなどにおいては、言うもさることながら・・です。)どうしても、本人が来られない場合は、その方の代理として徹することをお守り頂ければ、代理予約することは可能です。(ただし、その旨事前にお知らせください。代理になる方が私との信頼関係が希薄な場合お断りします。)
それから、修祓、祈願・祈祷、供養、浄霊などは御相談のひとつには入れられません。それは儀式であり、御相談ではありません。初穂料も別途発生しますし、そもそも時間も足りません。改めておいでください。
また、御相談のひとつの項目に『今後の人生(仕事や結婚を含む)』などの複数分や『家族の今後』『家族の健康』などと、複数名分を挙げることも出来ません。“ひと項目にひとつ、且つひとりについて”としています。(その分たくさんの時間を予約されている場合は除きます。)時間も差し迫っているのに「簡単にサラッとでいいので。」と、やはり聞いて帰ろうとして腰を上げてくれない方がいます。私が、適当には出来ませんし、御神託を端折る訳にはいかないのです。

神さまへのマナーについて

昇殿にあたり、素足はご遠慮ください。申し訳ありませんが、頼っておいでになったのだと分かっていても、個人的に中に上がらないで欲しいと思ってしまう方もいます。そもそも、神殿でないにしても、他人様の家に上がるのですから、常識として靴下くらいバッグの中にでも忍ばせておくものです。神域を預かる身としては、神さまへの威儀を正して欲しいと切に願うのです。神代は『礼』と『儀』の世界です。御相談中に、賜る御神託もお身体の不自由な方を除き、こっそり録音などせずメモをお取りください。(大神さまに失礼です。その時、聞き逃すまいとする真剣さが既に感じられません。)そして、その際は待合室の記入用紙をメモ用にせず、お声掛けくだされば紙を差し上げます。また、神殿には基本的にご相談者のみ昇殿して頂きます。もちろん、お子さんやご高齢者の付き添い、不安がる本人が同席を希望する場合は構いません。しかし、興味本位で同席なさることは、神域が乱されてしまうのでお控えください。御神威を感じて頂きたいためにも。(分かる人は、圧やピリピリ感、熱さを感じます。)また、正座が出来ないと心配な声も聞きますが、神殿には胡床こしょうだけでなく、座り易く立ち易い椅子も設けてあります。皆さんの御予約は一時間以上、二・三時間も多いですから、長丁場の私も皆さんと同じように掛けさせて頂いています。
神さまは友達ではありません。長らく宮に仕えている私でさえも、大神さまへ常に畏敬の念は忘れません。『困ったときの神頼み』は、普段から神さまに正しく向き合っている人が使う言葉です。イベント感覚で初詣する程度なら言えるはずがありません。そんなことにも気付けない人間は、思い通り立ち行かなければ文句を言うのです。そのような人には、「あなたは、あまり面識のない人から一方的にお願い事をされて引き受けるのですか?ましてや、上手く行かなければ罵られるのですよ。」と、言いたいものです。
道理として、先ずは“人事尽くして天命を待つ”ものです。仮に委ねるにしても、規範意識を持ち合わせていて欲しいものです。他力本願も甚だしく、残念でしかありません。思いは神さまも同じなのです。そして、実はもっと申し上げますと、依代である私にもその姿勢を呈して頂きたいのです。「私が営業してお呼びしましたか?あなたが私にお願いしているのですよね?」と問いただしたくなるような人に対峙することが増えています。馴れ馴れしく不躾な言動に私の気分は損なわれ、この方のためにプラスα尽力したいという思いは消滅します。一方で医師や人生の大先輩に当たる方などが私を『先生』と呼ばれます。そんな時、いつも私はそこに、『礼節』とその方の『教養』を感じます。なぜなら、どんな世界でも『自分が教えを請う相手は先生だから』です。“実るほどこうべを垂れる稲穂かな”私の大好きな言葉です。
※不毛なことで、エネルギーを損失したくありません。その分きちんと、神さまに向き合いませる社会通念のある方々に、多分に奉務していきたいのです。ですから、私は自分の仕事(神事)の質を保つため、場合によっては途中でお帰り頂いたり、御予約自体をお断りしています。ご了承ください。