2025年11月27日

大神さまへ突撃インタビュー(最終章)

◉「天児屋(あめのこやね)じゃ。」

 

◾️「なんと!」

 

やはりこちらの社の神ではなかった。

 

 

天児屋命さまは占いと祝詞の神だ。

 

古事記によると天照大御神さまが御隠れになられたとき、占いを行い岩戸の前で祝詞を奏上したという。

 

また日本書紀によると須佐之男命さまを追放する際は『祓い祝詞』を読んだとも記されている。

 

そして天孫降臨の際には、瓊瓊杵命さまに同行した神の一柱だ。

 

 

舌足らずな部分はあるが、ここで少しばかり知見を挟ませてもらうと、神道は江戸時代半ば過ぎ『国学』と呼ばれていた。

 

国学四大人のうち代表であった本居宣長の思想は『敬神生活の綱領』として、現在の神社本庁によって普遍化されている。

 

神道の歴史は日本及び日本人の歴史でもあると言えようが、戦後教育の場から追放されたのだから残念だ。

 

そこで、せめて私たちは、国学者たちがなぜ古事記を最も尊重したのかくらいは理解しておきたい。

 

古事記には、他の歴史書には見ない日本人らしい無垢な心や言葉が表記されている。

 

そして、その“心ある言葉”には「霊力」や「神威」がそなわっているとされた。

 

つまり、日本は言霊の幸(さきは)う国であって、言葉の霊力が幸福をもたらす国であり、美しい言葉によって幸福がもたらされる国なのだ。

 

そういう意味では、祝詞(神への祝福と感謝、また神からの言葉が含まれている)や寿詞(よごと)は最強の言霊といえよう。

 

殊、「ありがとう」という言霊は音楽としても美しいとされる。

 

「が」は鼻濁音(びだくおん)と言われ、日本語をより美しく柔らかく響かせる効果があるという。

 

言霊の神ともいわれる天児屋根命さまの出現は、そういったことも再度考え直させてくださった。

 

 

インタビューに戻るとする。

 

◾️「ところで、天児屋根命さまが此度はなぜに?」

 

私が問うと、天児屋命さまはこう言われた。

 

◉「子孫が苦悩しておるとあらばなぁ‥。」

 

◾️「子孫?」

 

◉「そうじゃ。其方、先つ祖神(さきつそしん)を忘れたか。」

 

◾️「えっ?えぇっ!祖神(おやがみ)さま?まさか‥‼︎」

 

私は慌てた。

 

ショルダーバッグを前に回すと、「失礼します。」とことわりを入れ、スマホを取り出して検索した。

 

 

『藤原氏 祖神』

 

 

画面に出てきたのは‥

 

・天児屋根命‥中臣氏の祖神であることから、中臣鎌足(後の藤原鎌足)を祖とする藤原氏の祖神である。

 

・伊勢神宮内宮の宮司家の大中臣氏もアメノコヤネの子孫です。中臣氏とは、神様と人の仲を取り持つ職業の一族のことです。神様との仲を取り持つので、なかとみ(中臣)になったとも考えられています。

 

などであった。

 

 

驚いた…。

 

有り体に申し上げると私の先祖の墓には源氏車(御所車)の家紋が彫刻されてあり、それが藤原の氏のものだということは知っていた。

 

が、甚だ残念なことに祖神(おやがみ)にいたるまで思索したことはなかったのだ。

 

 

青天の霹靂とはこのことなのだろう。

しばし呆然となり、そのたった数秒の間に数百年分の時を経た感覚で立ち尽くしていた。

 

 

改めて社の方を向くとさっきまで拝殿いっぱいに視えた天児屋根命さまの顔は消えてなくなっていた。

 

私は自分が『神司(かむつかさ)』であることの由を咀嚼しつつ車に戻った。

 

 

そして、“突撃インタビュー”が、このようなサプライズ的終結を迎えるとは予想だにしなかった中で、私が考え伝えるべきことはそこ止まりではないと思い直した。

 

 

最後にそれを記したい。

 

宗教には、教祖・教典・教義がある。

 

一方、神道は自然信仰であるがゆえ、教祖もおらず、バイブルになるような教典もなければ強制するような教義もない。

 

だから、誰でもが神を都合よく語り利用している。

 

簡単にスピリチュアルを口にし、糧にしようとする人間の多いことに驚く。(廣前で「やっていいですか?」「出来ていますか?」と私に聞く来談者も洵に多いのだが、今のところ、どなたも良くは思えない。というかやりたい気満々、咎められても辞めないはずなのにわざわざ私に聞かないで欲しいと思う。)

 

ときに、昨今、一神教を信仰する移民の存在が大きくなりつつあるが、日本人が大切にしてきた神道はもともと多神教である。

相容れないことが懸念されて然りであろう。

 

 

ところが先述した通り、神道と仏教に於いてはその違いはあれども神仏混淆が定着してきた。

 

そこで、それらに関して是非、日向高千穂神道の氏子さんたちに後述の旨、心服していただきたいことがある。

 

平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて、西行法師という武士で僧侶で歌人なる人物がいた。

(なんだかモデルで俳優でアーティストで‥の誰かみたいだが。)

 

 

その西行法師の和歌を引用する。

 

 

 

「何事のおはしますかはしらねども

かたじけなさに なみだこぼるる」

 

 

 

これは西行法師が諸国行脚の途次、伊勢神宮に参詣した折に読んだ歌といわれる。

 

仏教に帰依する者であり、神道に精通しているわけではなかった西行法師だったが、それでもひとたび神域に踏み入って無心で神前に手を合わせれば「かたじけなさになみだこぼるる」というのである。

 

 

日向高千穂神道の廣前でも、始めに身禊大祓を奏上すると「なみだこぼるる」氏子さんが多くおられる。(皆さん「あれ‥。自然と涙が出て‥。」と照れておられますが、私こそ、その涙にありがたさを感じています。)

 

 

そんな中、奇しくもつい先日、あるYouTuberが靖国神社で愚行をはたらき炎上した。

 

「何をしても靖国さんが守ってくれるから」とふざけたことを言い不敬を重ねた。

 

そして後に非難されると「ごめんなしゃい」と適当に詫びた。

 

すべてにおいて残念無念の極みである。

(介錯人の霊でも憑けてやろうか)

 

モラルの欠如したこんな人間が目に余るが、多勢に無勢であってはならない。

 

時代は令和の時を刻み続け、西暦2026年ももうすぐそこだ。

 

日本の国と共に神道の在りようも次なるフェーズにきているのかもしれないと思う。

 

しかし、例えその解釈に変遷が生じたとしても、本質は不変であるべきだと私たちは切望していきたいものだ。

西行法師のような素朴な心を持って‥。

 

 

日向高千穂神道の氏子のみなさま、

ご精読「ありがとう」ございました。

 

 

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