2025年11月06日
大神さまへ突撃インタビュー(其の一)
少し前の神職のお便りに書いたことです。
私が鹿児島県のとある大きな神社に参詣した際、そこの大神さまは本殿の奥で背を向けたまま寝転がっておられ、参詣者が拝殿で手を合わせても以前のようにその前へは出ていらっしゃらないご様子でした。
そこで見てとれたのは、“うんざり”なさっている大神さまのお姿です。
そのため私は、お声掛けするのが申し訳ないと考え軽く手を合わせ速やけくその場を後にしました。
拝殿から折り返しの参道には、相変わらずズラズラと列がなされており、参拝を待つ人々の雑談の声は私の耳にさえノイズ化して届きました。
本当は大神さまに教えて欲しいことがあり足を運んだのですが、それを聞いて帰るどころか、自然と耳に入ってきた全くの他人のどうでもいい話が頭に残ってしまった帰路でした。
後日、高千穂へ上がり高千穂神社の後藤宮司夫妻と社務所でお茶を飲みながら談笑する機会に私はその時のことを話してみました。
すると、宮司の口から
「そういえば、“ここへおいでになるある人も〇〇県の〇〇(お社名)は大神さまが寝っ転がっておられたと話されていましたよ。」
と聞かされたのです。
その宮については、私もそうなるであろう事の由を存知していましたから容易に首肯できました。
そして話は参詣待ちの列についても及びました。
「もっと神職たちが横に広がるよう促してくださるといいのですが…。私だけでなく、“後ろを待たせていることが気になって気持ちが神さまに真っ直ぐ向けられない”と思う方も多いと思うのです。でもそうかと言えば、気にせず一人で10分以上もその場を占領しているような人もいます。」
私は続けました。
「参拝の順番を待つ間から、いえ、もっと言うと参詣を決めたときからすでに参拝は始まっているのに、当日せっかく心を整えて静かにその時を待っていても前後に並んだ人の雑談を聞かされて不穏になってしまいとても残念です。」
そう申し上げると、宮司は
「そうですね、昔は“みんなの神さま”という認識で“あなたもさぁここへ”とみんなで横に広がったり、間に呼び合ったりして和気あいあいと神さまを一緒に拝んでいましたけれどね。今は“私だけの時間、私だけの神さま“という認識をもつ人が多いようですからね。」
とおっしゃいました。
余談ですが、最近のオーバーツーリズムのずっとずっと前から私が高千穂神社を参詣していた頃の話です。
ある数名の外国人の女性たちが、社殿にお尻を向けて大声ではしゃぎながら写真を撮っていました。
私は参拝を終えて、宮司と境内で会話をしていたのですが、その状を目の当たりにし、驚きを通り越して怒りを覚えたのです。
「宮司、いいんでしょうか?我が物顔で、大神さまを敬ってもいない。他の方も気にされているようですし、お声掛けして来ましょうか?」
私がそう言うと、宮司は
「まぁ、仕方ありませんね。キリストも全世界を収めることはできなかったですからね。」
と笑っておられました。
私はこのとき、宮司はやはり秀抜なお方だと強く感じ入りまして、この高千穂神社を御護りする役目として高天原から満場一致で選任されたのだろうなぁと深く頭が下がったのを覚えています。
そんな宮司が不穏を感じていらっしゃるわけですから、私の心が波立たないわけはありません。
先日の日向高千穂神道のInstagramから神職のお便りへ導入した件にも私見を述べさせていただきましたが、大神さまが“うんざり”なさる所以は、神社を護る職員の側にも、また参詣する氏子さんの側にもあると私は感じています。
なぜ、大神さまたちは今、“うんざり“なさっていらっしゃるのか、それを直接お聞かせ願いたいと思い、私は先日あまり人が御参拝に行かれないある神社に足を運びました。
そう、突撃インタビューの始まりです。
え?
その時、しゃもじを持って行ったかって?
いえいえ。
ヨネスケの『突撃!隣の晩ごはん』ではありませんから(笑)
こんな調子ですから、本日のラストに初めてお越しの二時間枠の女性が、大神さまの御神託に涙したり驚いたり感動されたりしてすっかり苦悩は解消しているのにも関わらず、
「先生、この後お時間いただけないでしょうか?」
と御初穂料を追加されようとするのです。
「今日はこの後、もう誰もいらっしゃいませんから構いませんが、まだ何かお訊ねすることがございますか?」
と聞くと
「いや、話が面白いからもっと聴きたいと思って。」
と言われました。
「いやいや、トークショーじゃないから!」
私も破顔大笑にて楽しく奉務を終えました。
次回、真面目に”其の二”として大神さまたちの御神託を奏でます。

