2020年07月23日

大神さまの逆手法

姿なきものの思いや様子を伝える時、それらが人間であろうが動物であろうが、向き合いたいと切に願う人(遺族、友人など)にちゃんと分かるように、教えてくれます。前回のことだって、私が犬の言葉が分かるのかとかそういうことではないのです。思いで、感覚で、ビジョンで、言葉で、私に伝えたり、見せたり、してくれます。勿論、私も波動を合わせトランス状態を作ります。

 

前回のお便りには、ペットを飼われる方々から、たくさんの反響でした。死んでいなくても、今のペットが幸せでしょうか?とか、もう一匹増やしたんだけど、それぞれどんな風に思っていますか?とか、言葉を言わない動物たちの思いを聞くこともしています。

 

しかし一方で、「(私が)亡くなった相手の事、分かるらしいよー。ちょっと、婆さんのことでも聞いてみようか。」などの軽いノリや冷やかしのような動機でしたらお断りです。

なぜなら、『寝た子を起こす』ことになり兼ねないからです。

気配を感じる訳でもない、夢に夜な夜な出てきて悲しい顔で訴えてくる訳でもない、それなりに鎮まっている御霊をわざわざこの世から、ミーハーな思いだけで起こしてはならないのです。

 

因みに、大神さまは、うかつに般若心経も上げてはならないと云われます。般若心経は、全世界に通ずるお経です。特に“羯諦羯諦~”の辺りは宇宙に通ずる言霊を放ちます。それを上げることにより、『寝た子を起こしてしまう』ことになる場合があるからです。

 

寝た子を起こせば、当然機嫌が悪いですよね。普通の方は、般若心経を上げることは出来ても、知らず知らずのうちに御霊を起こしてしまい、機嫌を損ねさせてしまえば治めることは容易に出来ないと思います。

 

結局、良かれと思ってしたことが、例え読経であっても、障りを起こすことだってあるのです。勿論、宗派に合っている方はそうなさってください。だから、よく分からない方や、お経上げたいけど、長いし上手く上げられないし、自信もないなぁって方は、対話供養(普通の言葉で、普通に語り掛けること)や食物供養(故人の好きだった品をお供えすること)をするとよいですね。

 

令和も2年目かぁ・・なんてこの前思った気がしますが、もう来月はお盆ですね。亡き者たちがお供えして欲しい品など、御相談されたら霊視で分かります。

 

前、御相談の内容とは関係なく

「亡きお母さんが、“たい焼き食べたい!”って言ってますよ。」

と、伝えたことがありました。急にそう言わされたのです。

「実は、昨夜、父と二人で食べました。母にもお供えするつもりで買って来たのですが、美味しくてお供えを忘れて全部食べてしまったんです!」

「なるほどね~。私には?私も食べたいのにって思っていたんでしょうね。」

見せびらかされただけでは、そう言われるでしょうね(笑)

 

故人にお供えをする時、食べられるようにして供えてください。りんごなら、皮をむき、つまようじやフォークなども準備して。そして、お菓子をひと箱頂いたらそのまま神道壇や仏壇に置かずに、個装の袋から取り出した中身をお皿に乗せるなどし、食べられるようにして供えるのです。その時、ラップなど掛けてはいけません。必要なら、お箸も添えたり、醤油やタレも、故人がそうやって食べていたならそれを再現して差し上げてください。勿論、肉魚をお供えしてもいいです。故人の好物は刺身でも唐揚げでも供えてください。実際、供えた物は目の前から無くなりませんが、故人は匂いを楽しんだり、また自分がこれを好きだと覚えていてくれたのかと喜び、それはそれはよい食物供養となるのです。

 

 

私が随分前、まだ御供養に家庭訪問が出来ていた頃の話です。奉務後に、祖霊舎から下げた果物を出されたことがあるのですが、全く味がしませんでした。水分は分かるのですが無味無臭。それを皆さんは、美味しいと言って食べていました。

 

「変なのー。私には味が分からん。でも、自分がおかしいのかもしれん・・・。」

なんて、刹那的には真剣に考えてもすぐ忘れていました。と、言うより考えても仕方がないのです。だって、答え合わせが出来ませんもん。この世界には教科書がないのです。

 

そしたら、ちょうどその数日後くらいに、沖縄の方が御相談においででした。何のことからか、このお供えの品が無味無臭だという話になりましたら、

「実は私の母は、沖縄でユタをしています。母が同じ事を言っています。」

と言われました。(私が、自分で不思議に思っているのに託宣をもらわない時は、こうやって大神さまが計らいによって、答えをくださったりします。)

 

仏式の場合、お供えは、あくまでも故人の過去帳などの前にしましょう。つまり、御本尊さまに供えるのは水とご飯、お茶くらいです。未だ修業の身である御本尊さまには、それ以外の品を供えることは、逆に行の邪魔をするとも言われます。なんなら、水は雨水でもよいとも言われますが、流石にそこまでは出来ないですね、気持ち的に。

 

御本尊さまへの決まりさえ守れたら、仏式でも故人に精進以外の品を供えて構いません。一方、神式は法要も『年忌』ではなく『年祭』なので、御通夜から豪華なもので、勿論、肉魚ありです。むしろ、普段のご飯より御馳走です。寿司でもメロンでもあるので、私は幼い頃、御通夜、お葬式と聞くと、嬉しい気持ちになったのを覚えています。不謹慎でしたねー!

 

ところで、決まりを守る中で一点だけ、注意することがあります。それは、お酒や煙草など、常習性のあるものは、毎回お供えしないということなのです。何故なら、それで身を亡ぼした人もいるでしょう。死しても尚、「もっと。もっと!」とさせてしまうのはよくありません。かといって、全く供えなければ、障りもあります。以前ある方の御神託にあったように、『先祖が飲みたがっておる。夫が飲みすぎるのはそのせいじゃ。』などということになってしまいます。だから、祥月命日や命日、年忌、法要の時に「特別だよ!!」とお供えしてあげましょう。これは、神式も仏式も同じことが言えます。

 

「食べてね。後で下げるからね。」

そう声を掛けて供えたら、2~3時間くらいして下げて良いです。不衛生になるといけませんから。そして、ここが大切ですが、お供えしたそれを“お下がり”として食べてはいけません。故人のものを横取りすることになるからです。それは、故人に出したものですから、その後は手を付けず廃棄してください。本当は精霊流しをしたいのですが、環境問題もありますからね・・・。

 

そもそも“お下がり”ではありません。故人は肉体がないだけの私たちと同じ『人間』です。だから、神さま・仏さまのように『高級霊』ではないので、お下がりにはならないのです。

 

一方で、仏式の場合、『高級霊』である御本尊のご飯を戴くことは、お下がりを戴くことになりますから、よいのです。

 

反対に、大神さまに“奉献”する時は、お菓子も箱のまま、果物も皮をむいたりせずそのまま、鯛も鱗一枚取りません。そして、それを『高級霊』からのお下がりとして、戴きます。

 

難しいですか?

分からない時は、教えて差し上げますよ。

『食べ物の恨みは怖い』ので(笑)

そのお話をひとつ。

 

人間には、五欲というものがあります。財欲、色欲、名誉欲、飲食欲、睡眠欲です。

しかしその中で、やはりいちばん大きい欲は飲食欲でしょうね。

実は大神さまの御神託で、人間のその執着心を逆手に取った方法にて見事に解決されたことがあります。

 

「父が意識不明です。なんとか、意識を取り戻して欲しいのですが。父は、どう思っていますか?何かしてあげられることはありませんか?」

「“夢か?眠るにしては長いなぁ。もう目を覚ましたいんだけど・・。” と本人は、何かがおかしいと思っているようじゃ。しかし、自分が意識不明だとは、分かっておらぬ。本人が自分の意志で覚醒せねばならぬなぁ・・。」

と、大神さまの託宣が降りました。一旦、御神託を止めたのち、再び神殿に向きました。

「この者が、好きな鯛の煮つけを作って、顔の近くに置きなされ。匂いで起こすのじゃ。鼻は利いておる。」

「はい!父は、鯛の煮つけが大好きなんです。やってみます。」

「それとなぁ、この者の足の裏を拭くのじゃ。酒を含ませたきれいなタオルで。足の裏はこの世との接点。しっかり、まだこの世に繋がるようにな、足裏に溜まった不浄を拭うのじゃ。」

 

その後、見事に意識が戻ったと報告とお礼がありました。

それから、しばらくして分かったことですが、お父さんは覚醒前に夢を見たそうです。

 

「俺が大好きな煮つけを食べようとしたらよ、隣で横取りするのがおって!おい、返せ!!それは、俺のじゃっ!!!!って、追いかけたら目が覚めたがよ。」

 

私が御神殿に奉告しますと、大神さまは、にっこりとただ目を細めておられました。