2020年07月30日

あなたは誰に

環境があなたの人生を作ります。

 

大袈裟かもしれませんが、悩みを相談する時、『誰に相談するか』という選択を誤ると、人生大変なことになってしまいます。私はこの生業に勤いて(いたづいて)いると、相談相手を精査することは肝要だと、改めて思わされます。これまでも、

「ようこそここへ導かれましたね!他にどこそこ行かれていたら、今後もどれだけ騙されたか分からなかったですよ!ここを紹介してくれたあなたの友達に感謝なさってくださいね。」

などと、なんだか自画自賛のようなセリフを言うことが多々あります。

 

先日、以前からの氏子さんが

「一時間五万円ってところがあるらしく、その中身聞いてびっくり!ここ日向高千穂神道みたいによく当たり、道を知らしてくれるわけでもないのにですよ!」

と言われていました。手前味噌ですが、私は真面目に正直に神事(かみごと)と向き合っている方だと思います。巷では、どこそこがやっていると小耳に挟みますが、“因縁が・・”などと言って必要のないお祓いをすることだって、それを言い値でぼったくることだってやろうと思えば私にも出来るのです。“先生”などと呼ばれて、有頂天になり横柄に人格変貌することだって考えられるのです。でも、正直言って、私はあまりお金や名誉に欲がありません。あるのは、知的貪欲と食欲です(笑) だから、表に出ることもお断りしています。なので、私はこの役目を担わされているのだと思います。

 

 

皆さんの中でも下手すると、せっかく頼った相手に話が伝わらずに、途中で『もう、いいや。』と話す気が失せてしまい、なんだかそれも相重なって余計に心が辛く悲しくなったり、『こんなことなら、話さなきゃよかった。』と反対にイライラさせられてしまったりして、結果的にあまり知られたくないことを知られて終わっただけ・・・。みたいな経験をした方がおられるはずです。挙句の果てに、時が経つと、自分が直接相談してもいない人がそれを知っていたりしてね・・・。

 

『洩れるのはいつも“自分の口”からじゃ。』

大神さまが私にお教えくださいました。悩み相談に限ったことではなく、人の悪口や陰口、噂話などもそうですよね。いつの間にか、自分が発信源みたいになっていたりします。

「なんであの人が知ってるの?」も元を正せば、自分の口からご丁寧にも伝えているんですよね。

 

 

そういうことも含めて、相手を吟味し相談していくわけですが、実は人間、周りへ相談する時は、自分の心は既に決まっているようなのです。だって、明らかに反対するような人は、相談相手候補のリストから自然に除外しているはずです。わざわざ、怒られるような、嫌悪されるようなことなどしませんからね。因って、背中を押してくれると確信する人に頼ることとなります。これは相談はしてみるけど“自分の心は大方決まっている場合”です。

 

本当にどうしてよいか皆目見当もつかないという時、そんな時は、その苦しさを抱えていること自体耐え難く、誰かに話せば楽になると周りの人間をよくよく精査もしないうち相談をしてしまうかもしれません。そこで、相手が良識のある人間であれば救われますが、単に感情論で解決を図るようなレベルなら、それはもう相談ではなく、意味をなさない愚痴吐き止まりと化し、また煽られるだけなら“自分がもう一人いた”ということだけにしか過ぎません。相談ではなく、中身は独り言×2なのです。

 

夫婦間などによく生じることですが、それまで同じフィールドを共有していたのに仲違いが生じた途端、一方がそこを出て、違う次元のフィールドにいる人間に相談することがあります。そうなると、もうややこしくなることが殆どです。フィールドを出た先に更なる賢者がいればよいのですが、大抵、話し合いを放棄するようにフィールドを出る人間は悪質と化していますから、そんな人間が相談しようとする相手のいるフィールドは、元よりも低俗でしかありません。そこに待ち構えている人間は、親身になっているように見えてその根幹は『人の不幸は蜜の味』でしかないことが殆どなのに、それに気付かず、むしろ水を得た魚のように、そのフィールドの住人になります。後は、寄らば大樹の陰です。

 

人間が苦悩した時、誰に相談するかでその人間の本質が分かりますね。

 

人生を人に煽られることなく進み行くためには、予てより自分の身を置く、その環境設定が大事なのは、言うも更なりです。そして、その中にキャスティングさせる人間は選んでよいのです。普段から、自分のフィールドに、どんな人間が配置されているのかによって、相談時の質もひいては結果も変わって来ますから。

 

一方、反対に相談される側に立った時、心しておいた方がいいことがあります。相談に乗って欲しいと言いながら、アドバイスを求めてくる割に、実際は全くそれを取り入れずに、いつも同じような悩みばかりをぶつけてくる、そんな人間がいます。そういう人に、振り回されること、尚更要注意です。ばら撒くだけばら撒いた本人は平然としているのに、それを受けた方がまるで自分の事のように考えている・・。そんなパターンによく気付きます。

 

ルールを守りましょう。言う側は、いきなり愚痴や相談の中で相手に負を浴びせるのではなく「聞いてもらえる?」と許可をもらい、それから話しましょう。話し終わったら、「聞いてくれてありがとう。」をちゃんと言って感謝で終わること。それにて、相手は浴びたマイナスのシャワーが浄化されます。

反対に相談される側は、本気でアドバイスを求めているのか、相談と言いつつ単に愚痴吐きにされているのかを見極めながら、相手が乗り越えるための気付きを願いましょう。

 

私もたまに御相談者にこのように申します。

「もう2.3回、同じような内容で似たような御神託ですよね。勇気がなくて容易く前に進めないのは分かります。でもまた、このことで来られるなら、次は御予約お受けしません。初穂料がもったいないですよ。頑張って受け入れて乗り越えて、次おいでの時は、その先の御神託を戴きましょう!」

 

 

私たちは、自分の“人生という映画”の監督兼主役です。そこにキャスティングする人物を自分で選べるのです!自分の映画を作るにあたって、『この人にどんな役で出てもらおうか・・。』と悩むなら、それは要らない縁なのかもしれませんね。

 

そしてもうひとつ。“同じ考え”の人と繋がるのもよいですが、“同じ志”の方と繋がるのは更に良きことです。同じ考えの人とは、共鳴りは感じることが出来ますが、そこがメインです。一方、志が同じ方とは、宛処(目標)は同じでも、そこに至るまでの手法や努力が自分と違うことで刺激になりますし、その姿勢を学ぶことも真似ることも出来るのですから。