2020年12月16日

その由は


八月に『暫くお便りはお休みしますので、その間おさらいをしていてくださいね。』なんてしていたからでしょうか、前回のサプライズのお便りには皆さんの反響をとても大きく感じ、有難く身に染みているところです。

 

いや、皆さん可愛いんです!
ことわざをネットで調べてみられたり、「読めば読むほどなんです。」というメッセージをくださったり、「お便りを拝読し、胸がドキドキしています。何度読み返しても心に響いて、自分を振り返ったり、頑張ろうと前を見る勇気をもらいます。」とか、「井の中の蛙大海を知らずの続きが、勉強になりました。」とか、「寝る前にお便りを繰り返し、読み返し理解を深めるのが楽しみです。」とか。しっかりと、本当に誠実に御精読頂いているんだなぁと涙が滲みます。

 

・・・しませんけど、しませんけどね。もうこの勢いなら騙せるんじゃないかというくらいに皆さんに思ってもらえていることは、役得だなぁって(笑)

 

ホームページの管理をお願いしております(株)ARIOの奥田さんにも、久方ぶりに連絡を差し上げ急で申し訳ない気持ちにていつもの遠隔操作を依頼したのですが、私のみならずパソコンでさえも時を経てその術を忘れていたのか「先生、(私のパソコンに)入れません。」と奥田さんからの返答。「ラインで送ってくだされば、転載出来ますよ。」と言われましたが、その方法をすっかり忘れていた私にはチンプンカンプン。しかし、たまたま風邪の為、学校を休んでいた金城家のエース(娘)がちゃちゃっとやってくれました。

 

「パソコンも奥田さんにソーシャルディスタンスしたのかもね。」と、私の遥か上を行く若干15歳の小娘に負けじと、鼻を膨らませながら自分では上手いこと言ったつもりでしたが、白い目で見られ撃沈でした。

 

しかし、何がサプライズかって、私がいちばんサプライズですよ。お便りは、半ば自動書記みたいな状態で一気に3・4時間で作成させられます。いきなり、そういうモードへシフトチェンジさせられるわけですから、生活リズムがついていけません。しかし、昨日今日始まった訳ではない私の特異体質を充分理解している子どもたちは、家事や1歳の子のお風呂入れまで自主的にこなしてくれています。おかげさまで、末の子の後追いも私のみへとそう強くなく、家族に分散されているようで、楽をさせてもらっています。ただ、ひとつだけ困っているとすればそのせいか分かりませんが、お兄ちゃんもお姉ちゃんも『ママ』と呼ばれていることです(笑)

 

これはお兄ちゃんには愛嬌としても、青春真っただ中にいる娘にはただならぬことのようです。金城家の買い物に行く時の選抜メンバーは私とその娘と1歳の子なのですが、娘は普段より姉妹ながら妹のお世話に小慣れている為、私から見てもその保育能力たるやアメージングなのです。しかしそれは世間にはよからぬ風に映るらしく「まぁ~!若くで産んで!!今どきの子は。」と好奇の目で見られています。勘のいい娘はそんな時すかさず「ママに行こうね~!」と言い、自分はママじゃないパフォーマンスを展開し、私の元へちびを連れてきます。(本当は、成績オール5で特に英語に関しては偏差値が既に83あります聡い子なのですよ。)また、買い物中の困ったエピソードは私も負けていなくて、突然「先生!あれから○○になって~」と以前の来談者に捉まってしまうことがあります。私は昔から人の顔を覚えるのが不得意で、もちろん誰か分かりません。『誰だっけ?何の相談の話だっけ?』と少し引きつりながら愛想笑いをしつつ海馬をフル稼働させていると、さっき“おつとめ品”のところから厳選して来た半額商品たちが私のカゴの中で存在感をアピールしているではありませんか!これは恥ずかしい!!そんな時、話を合わせながらさり気なく葉物野菜でそれを隠す技が最近上達して来ています(笑)また、現在進行で子どもを4人養育しているとそれぞれのお友達の保護者に会うこともしばしばですが、この場合もお顔では思い出せない為、相変わらずの愛想笑いで乗り切りながら「お母さん、今、誰としゃべってんのけ?」とこれまた娘にさり気なくラインするのです(笑)

 

さて、予告通り、ここからは私の“受験武勇伝”にお付き合い願いたいのですが、その前にどうしても皆さんに伝えたいことがありますので、それを先に記すをお許しください。

 

前回、認定試験を5つ、そして国家試験を1つ、全部で6つの試験を今年受験したことをお便りしました。その中で精神疾患の根源的な要因に触れていたことからも、勘の良い方は私がどのような分野を受験したのかお分かりかと思います。

 

実は、その中のひとつで『保育士』を受験しました。2003年の児童福祉法改正で名称独占資格と規定され、国家資格になっています。

 

「え?なんで神道で保育士⁇」と、思われたでしょう(笑)
前回の冒頭、“6人も子どもを産んでただのお母さんじゃ勿体ない”も理由のひとつなのですが、他にも理由があります。

 

日向高千穂神道には、日々様々な苦悩を抱えた来談者が足のお運びをなさいます。恐縮されながら「こんな相談でごめんなさい。」と言われる方がおられますが、医者の元にだって人それぞれの痛みの度合いで自由に受診するのですから構いません。

 

そんな中、人間の悩みを分類するとすれば、大きく分けて『お金』『色恋』『病気』『人間関係』と四つがおおよその中身となっているようです。『お金』の中に借金や仕事、『色恋』の中に恋愛や結婚や不貞・・といった具合です。

 

ほとんどの方はこのいずれかを“たましいの学び”として選び定め、そこから課題を与えられたましいの成長を促されています。しかし、昨今に於いて『人間関係』の枝葉である家族・夫婦・親子の御相談が非常に増えています。

 

近年特に、ニュースや新聞などでも、身内間の殺人事件や児童虐待死などの記事を見聞しない日はないほどです。それらの出来事に登場する人物は、機能不全家庭にて幼い頃の養育環境や親の養育態度に問題があり、そこから愛着障害を抱えていたり、承認欲求が足らなかったり、自己肯定感が低かったりしているのではないか。また養育者が精神疾患やパーソナリティ障害、発達障害(反対に子どもが)である故ではないか。または境界知能の持ち主ではなかろうか・・・。そんな思いでいました。

 

ひとつひとつのケースを全て把握しているわけではありませんから、私の主観になっているかもしれませんが、少なくともこの神殿の廣前に乞祷ぎ奉らんとする氏子さんたちには、これまで幾度となく当てはまっていたからです。

 

そういう場合の『本人の生きにくさ』、『子の育てにくさ』は当事者にしか分かりません。

 

「なんでだろう?」「どうしたらいいのか分からない。」
と、途方に暮れておられる中に大神さまからの御神託と私の持てる知識を併せ持つ技で、数十年来の苦悩から解放される方も大勢おられたからです。

愛着障害があるから人への関りが包括的になる。その割に大切な人が離れようとすると、とてつもない不安に苛まれる。だから、暴力や暴言で支配しDV化する。
あるいは同じ愛着障害でも回避型の場合は、逆に本当の愛を求めない生き方をする。誰かを一番とするのでもなく、一定の関り具合で複数と向き合う。世間では上手く立ち回るが、自身が傷付かないように何にも期待せず、信じずにいる。人間関係は希薄。
承認欲求が足らないと、自己顕示欲が大きくなる。(個人的には迷惑Youtuberもそれだと思っています。)また、物欲や金欲、名誉欲に執着する傾向が強い。
これらの愛着障害や承認欲求の問題を抱える人は、異性関係において恋愛依存症のような状態になることが多く見られる。根幹に“愛の枯渇”状態がある故。因って、普通は選ばないような訳アリの異性でも、『愛』をちらつかせ『存在』を受け入れてくれたら走ってしまう。

 

少し専門的になってしまうのですが、保育士の資格取得の勉強をする中で、私が自分なりにたたき上げた上記の観念ととても一致していることに身震いした学びがありました。それが、以下の内容です。

 

カナーはその著書『児童精神医学』の中で問題となる養育態度を『拒否』『過保護』『完全主義』と3つ指摘しています。
① 『拒否』 子どもに対する敵意や無視として現れる養育態度。子どもへの嫌悪感やその存在が悪影響を及ぼしているという被害感が原因。拒否により、子どもに対する行き過ぎた躾や身体的、心理的虐待、ネグレクトなど発生する。こうした養育者の元で育った子どもは、乳幼児期に基本的信頼感を獲得できないまま成長するため、思春期以降に人の表情や言動よりもお金や物による関係を欲する傾向がある。(先日、鹿児島市内で二人の乳幼児を自宅に置き去りにし、コロナの支援給付金でホテル宿泊をしていた夫婦の養育態度はこれに値するでしょう。)

 

② 『過保護』 子どもに対する監視と抑圧としてあらわれる養育態度。親自身が仕事や趣味などにおいて自己実現をしていない、あるいは社会的承認を受けていないなど、親の側の欲求不満が原因。必要以上に子どもを保護しようとするため、子どもの甘えや依存が助長される。また、登園、通学、親元を離れる際に親と分離した生活をする段階で強い不安感情を持ち、心身症などの症状があらわれる可能性がある。

 

③ 『完全主義』 子どもに対して達成不可能な課題を提示する養育態度。親自身の人生における達成感の低さや子どもに対する拒否感情、ライバル心や過度の期待が原因。出世や進学などの社会的承認を強く要求されるが、子どもは達成出来ない為繰り返し𠮟責される。その結果、子どもは無条件降伏、逃亡、反抗のいずれかの行動をとり、それぞれ強迫性障害、選択制緘黙、家庭内暴力が起こる可能性がある。

 

今回『神職のお便り』というものにしてはかなりマニアックに仕上げております。私は、皆さんにも保育士の受験をさせようとしているわけではないのです(笑)しかし、これらが児童虐待に繋がるということを認知していれば、もしかすれば周りで救える人や命があるかもしれません。また、現在進行で子育てをなさっている方にも是非周知して頂きたいと考えます。

 

子どもは確実に大人になります。社会を形成していきます。
保育所保育指針にも、幼稚園要領にも、教育基本法にも、学校教育法にも表現は違えども“人格形成において大切な時期”と述べられています。だから、養育環境は大事、養育態度はもっと大切です。

 

子どもに問題があると考えている場合も、“本当にチェックしなければならないのは親”であったりするんです。

 

そして、その子どもの養育者である”親を指導する専門家“が、実は『保育士』なのです。

 

保育士というと保育園などで子どもと遊んでいるイメージですが、そうではないのです。とても尊くて重責のある仕事なのです。
(因みに、『介護福祉士』も介護してくれる人じゃなくて、“介護する人を指導する人”ですからね。有難いことに介護してくれてますけど。)

 

私は、それらに起因しどうしても保育士の学びがしたくなったのです。高名な精神科医の期待を裏切らないためにも、恐れ多くもタイアップするためにも、必要と思ったのです。

 

「お母さんさ、必ず全部を一発で合格するから勉強させて!」
子どもたちに協力を求め、頭を下げました。

 

その時はまだ、保育士国家試験の合格率が10%台であること、ましてや一発合格率においては3~5%だということなど知らなかったのです。