2021年02月18日

テレビ出演

と、申し上げましても、私が直接メディアに登場した訳ではございません。

 

「テレビ見ましたよ。今の先生でしょう?」
「先生、そうだったんですねー!神さま、すごーい!!」
「“鹿児島で有名な”って言ったら、先生だと思いましたが、今の放送はなんだかひどくないですか?」

 

いやいや…、ちょっと待って。
数年前、土曜日の23時ごろ、次々にこのような電話やメールが届いたのです。

 

私には、何のことかチンプンカンプンでした。

 

数日置いた頃、Youtubeに“それ”が上がっていると、親切に氏子さまの一人が私にそれを添付したメールをくださいました。

 

「あっ!あの件だ!!」
直ぐに分かりました。

 

『ラーメンのぼる屋』を復活させたいと、新オーナーになる女性が神殿にお運びでした。

 

「70年続いた老舗ラーメン店が、数年前に閉店してしまいました。私がそこを任されて、今、有志らが集まり、何度と試食会を繰り返しています。99%完成していると思いますが、どうしても何かが足りない。しかしもう、それが何か分からず、料理人たちがお手上げなのです。」
言われました。

 

いつも通り、神殿に向きますと、
「杏か無花果、旬で生物がなければドライフルーツにしたものでもよい。」
と、言わされました。
内心、『ラーメンなのに?』と強烈に思ったことを、今でも思い出します。

 

それから、そのオーナーからは、何の音沙汰もありませんでした。

 

しかし、たまたまテレビを付けた時、オープンして行列が出来ているというローカル番組が飛び込んできたのです。

 

『あれで、完成したのだろうか?それとも、やっぱり、ラーメンに杏や無花果はないだろうから、違う形で完成したのかな。気にはなるけど、いずれにしても、オープン出来てよかった…。』

 

あれらのメールは、そう思っていた矢先の、氏子さま達からのお知らせだったのです。

 

宮根誠司が司会をする『Mr.サンデー』で、ラーメンが完成するまでを再現ドラマ化していました。

 

新女性オーナーが幼い頃から、親しんだ“のぼる屋”が閉店し、淋しく思っていたところ、
「あんたがせんね。」
と言われ、県内の高名な料理人たちが集い、レシピも何もないところから試行錯誤しつつ試食会を繰り返すも、元祖のぼる屋の常連だったひとりの初老の男性がただ一人、最後まで首を縦に振らない。
「どうしても何かが足りない。」
と、訝しい表情を崩さない男性に対して、
「もう、術がない…。」
と、いうものでした。

 

そこで、オーナーが大神さまを頼って来られ、御神託を頂いた結果、それで味が完成。
その男性も目を輝かし、
「これだ!」
と、涙を浮かべながらスープを飲み干したという感動の秘話でした。

 

が、この再現ドラマの中で、オーナーが神殿にお運びの際の私とのその描写が、それはそれはひどいものでした。

 

場末のスナックのような場所に、
「助けて。もうこれ以上分からないの!」
的なこと(あまりにもひどくて、観ていられなかったので詳細なセリフはうろ覚えですが)を言いながら、オーナーが駆け込んで来る場面。

 

何故か白いツボを磨きながら、時代遅れのスーツのような服を纏った“ママ”らしき女が、
「あー!それでねー。あなたが来るなり、頭の上にイチゴが視えているのよ。」
と、目も合わせずに言い放つ、私であろう怪しい女。

 

なんだこれ!!
「バカにしてる!」

 

そもそも…、
このYoutubeを観て、私は、初めて大神さまの御神託でスープが完成したことを知ったのです。
テレビ放送も視聴していませんでしたから、氏子さま方がお知らせ、またYoutubeを観なければ、未来永劫、あの御神託がお役に立てたのか知らないままだったでしょう。

 

それにしても、マスコミが面白おかしくしたい意図があったのか、分かりませんが…。
何故、杏や無花果とはっきり言われた御神託が、苺にされていたのか?
全国放送で、大神さまの御神託を微妙に少し変える意味があったのか?
オーナーは、これまで何度も何度も大神さまの御神託で助けられてきた過去があります。神殿の様子や、私の奉務形態も熟知しているはず。監修する時、この再現の様に違和感はなかったのか?
それとも、わざとこんな描写になるように伝えたのか?

 

不可解な思いがよぎりました。

 

御神託によって、ラーメンが完成したこと。
無事、オープン出来たこと。
また、それを交えた、再現ドラマを全国放送で流すこと。
その際、こんな描写になるということ。

 

私は何ひとつ、聞かされていませんでした。
よっぽど、オーナーに抗議の電話をしようかと思っていました。

 

すると、反対にオーナーから予約の電話があったのです。
私は、当然、大神さまへ、味が完成したことへのお礼や、私に断りもなく勝手に全国放送内で御神託を披露したことなど、しかもあんな描写になるとは思ってもいなかったということなどの感謝や詫びに運ばれるものと信じていました。

 

ところが…。

 

「都会に進出しようと思うが、成功するのか?」
から、そのひと言目は始まりました。
「その前に、先ずは、大神さまにお礼参りではないでしょうか?」
と、込み上げるため息を抑え、私が申し上げますと、
「私、料理人たちに怒られたんですよー。なんで、神さまのことを言ったのかって!たまたま味は完成したけど、70年前に杏や無花果があるはずないから、別の物だったかもしれないよって。」

 

腹の底から、怒りに震えたのをまた強烈に覚えています。
『なるほど、御神託で味が完成したことをなかったことにしたいんだ。それで、御神託通りじゃないという風にするために、杏や無花果を苺とすり替えたんだ。汚い!あまりにも、無礼だ!』
直ぐに察しがつきました。

 

私は、前々回から、このお便りを神仏に対して心得が整っている氏子さま向けへ変更しました。と、言うより、そうでない方はやはり読んでいませんね。因みに先日も、それが分かることが廣前で起こりました。そんな来談者でした。
「おかしいですね…。御予約を入れられているということは、ホームページ内のルールに沿っている訳ですから、お便りを読んでくださっているはずですので、そこにも書いてございましたでしょう?」
と、わざと申し上げました。
「あっ、きちんとは…。」
しかし、直後のあの顔は、きっと読まないでしょう。

 

礼節の整っておられる氏子の皆さま、如何感じられますか?
私は、怒りを通り越して、とても悲しいのです。

 

残念ながら、こうして、神仏を食い物にするヤカラがいたり、神仏を引用するだけのヤカラがいることは事実です。
そして、私は何なんだろう。
都合よく使われているようにしか、思えなくなる時があります。

 

『藁をも縋る思い』で来られてたはずなのに、解決しても、『お礼参り』もなし。
それどころか、『後ろ足で砂を掛ける』ことを、平気でして来るのですよ。

 

『お礼参り』や『願解き』が如何に大切なことか、また次回以降お便りしますね。
はぁ~。

 

再現ドラマが終わって、スタジオにカメラが戻った時、宮根誠司が
「ラーメンも気になりますが、その祈祷師さんも気になりますね。」
と、言っていました。

 

私は、“祈祷師”とか“拝み屋”と言われるのが、大嫌いです。
そんな生業の方もおられるでしょうが、私は違います。
神職の免許も取得しています。(数年前には、表彰もされています。)また、珍しいでしょうが、様々な国家資格や公的資格等も持っています。

 

強いて言えば、霊媒です。
だから、宮根誠司のセリフを聞き逃せなかった私は、不満を口にしました。すると、ひとりの氏子さまが、そのことを含め、私の描写のことや御神託も変えられていることなど、お手紙を認めて、番組宛へ送ってくださったのです。勿論、彼女は私に『こんな内容を送ります。』と、お知らせくださって。それが、当たり前です。(私も、氏子さまのことをお便りに特別取り上げる時は、御了解と監修までして頂いています。)

 

お為ごかしの親切が多い世の中で、私はそういった氏子さまに助けられています。

 

しかしまぁ、ひどいあの再現ドラマだったのに、
「そんなに当たる先生ほどの方を、探していました。」
と、番組を観たと全国各地からご依頼がありました。
調べ尽くして、私に辿り着くくらいの深いお悩み事を携えている方ばかりでしたね…。漁に出たまま、行方が分からない家族のことなど…。

 

思いもかけぬテレビ出演でしたが、そのような方の役に立てたことで吉と転じさせて頂き、不愉快な過去を忘れることは出来ませんが、思い出に変えようと思います。

 

写真は、狭野神社境内の『榊』の大木です。
神棚に上げますが、本来『榊』という名の木はありません。
神界と人間界を分ける境に置くことから、『境の木』→『榊』と呼ばれています。