2021年06月17日

試される霊査力(其の一)

奉務の合間で仕事用の携帯を見ると、Hさん本人、その母親、そしてお姉さんと、私は何か不義理でも働いてしまったのだろうかと思うほど、それぞれが個々に連絡くださっていました。

 

“お願いします!連絡ください!!”や、“Hを助けてください”と、電話やメールで悲痛な訴えです。

 

こちらの御一家は、遠路遥々、親戚の方々まで、事あるごとに大神さまを頼ってお運びくださっていますから、私が使い捨てにされている感覚は全くなく、むしろ大変気になりつつも、何故かその日に限って、飛び込みで時間外奉務が増え、しかも立て続いていましたので、結局、Hさんの話をしっかり聞くことになったのは、翌日でした。

 

彼女は、医師とご結婚され、今は東北に住まいされています。
よって、電話での霊視相談となりました。

 

涙ながらに訴えられた内容は、以下をご覧ください。

 

「ひと月半くらい、体調が悪いのです。実は、鹿児島の実家から新幹線で戻る途中、鳥栖の辺りで、口から何かが入って来ました。それから息苦しくなって。でも、福岡を通っているので、初めコロナかもと思い検査を受けましたが、陰性でした。特に喉の違和感がすごくて、カメラも飲みましたが何もなく、あちこちの診療科も回りましたが、原因が分からず…。そうしているうちに、3月に亡くなった祖父が夢に出て来ました。新聞を広げ、私に何かを言って聞かすのですが、何を言っているのか分かりません。ただ、その新聞に『別』という字と、『永』という字が載っていたのだけは、覚えています。じいちゃんに、何かが起こっているのでしょうか?それともじいちゃんが、私にこうしているのでしょうか?でも、じいちゃんとは仲良く、可愛がってもらい、私をこんな目に合わせることはないと思うのです。苦しい…。また、乗り物に乗った時、こうなるのも怖い。首が…、喉の閉塞感が強くて、息苦しいです。」

 

私はリスニングしながらメモを取り、一方で霊媒師にトランスフォーム、霊査を始めていました。

 

この時、きっと物凄い集中力なんです。
霊査の時は、瞬きをしませんもん(笑)

 

今は、自分に視せられるビジョンに自信を持っていますが、30年程前は、
『ホントかなぁ。まさかなぁ。』
『いやぁ、さすがにそれはないでしょ。』
などと、否定もしていました。

 

なぜなら、例えば自動車工場の経営者が、
「今まで車検とか頼んでくれていたお客さんたちが、少しづつ離れて行って、収入がこんなに落ちたことは今まで一度もない。何かあるんじゃないかと思って…。」
と10年くらい前だったかな、御相談された時、大神さまは、
「気を付けていても、オイルやシンナーが流れ、地魂神に不浄をかけておる。右奥から手前にかけての側溝に酢をまいて清めなされ。」
と言われました。私は霊視にて、その工場が視えていました。

 

また、ある教員が、
「異動になって住まいが変わったのですが、急に激しい頭痛が起こるようになり、群発頭痛と言われました。治らないのでしょうか。」
と御相談の時は、
「その直ぐ近くの川に、砂糖水を流せ。未浄化霊(武士)の浄化を手伝ってやるのじゃ。砂糖は高価、なかなか手に入らんかったからなぁ。最高の供物じゃ。」
と、言われました。この時も、川とそこにさまよっている武士が視えていました。

 

両者、酢に砂糖水?と疑いたくなります。
塩、米、酒じゃないの?と思ったものです。

 

でもそれから、奉務に就く中で、学びました。
人間に個性があるように、神霊にも個性があると。

 

だから、神社というのはそこに鎮座される神の“得意分野”を大神徳とし、恋愛の神社とか、商売繁盛の神社となっているのです。
特に、霊は元が人間ですから、嗜好もあって当然です。供物が、米、塩、酒だけでないのは何ら不思議なことではないのです。

 

霊査は、主観を除き、受動的に視えるものを見落とさず、視えたものに猜疑心を持たず…。
ましてや、否定は神への“冒涜”となるわけです。

 

本題に戻ります。

 

ところで、Hさんは随分スピリチュアルなことを、さらりと言っています。
口から何かが入って来たこと、亡き祖父の意味ありげな夢を見たこと。

 

そうです。彼女は、“感じる人”なのです。
既に、私たちには、これまでの信頼関係がありましたから、話がスッと入って来ました。

 

電話相談の時は、お話を伺った後、一度電話を切って20分くらいお時間を頂戴します。
その間に私は御神託を求めます。
そして、自分でメモを取るのです。
因みにこの時、自動書記になることもあります。
そこに本人がいる訳ではないので、音声にする必要がないからです。
御神託を口に出さずに、直接文字で書かされます。

 

託宣の内容が驚きでした!
私の霊媒人生の中でも上位に上がるケースとなりました。

 

「どうでしたか…?」
決めた時間に、彼女から電話が掛かって来ました。
相変わらず苦しそうで、息も絶え絶えです。

 

「すごいですよ!もう内容が凄すぎて、私の言葉も交えながら伝えていきますね。」
と、ワンクッション置きました。

 

霊媒は、霊査したことを、相手に伝わるように的確に、かつ上手に伝える“話し家”でなければなりません。

 

「先ずなぁ、そなたは鳥栖の辺りで口から何かが入った、何か憑いた、と思ったようじゃが、実際は、その前の筑後の辺りで既に憑かれておったなぁ。それが何かというと、武士の霊じゃ。しかも、関ヶ原の戦いに西軍として臨んだ者たちじゃ。ここで、祖父の夢の話になるがな、そなたを可愛がっておった祖父が、苦しみを与えるはずがない。あのなぁ、祖父が読んでおった新聞に書いてあった”別“と”永“の文字、実は”別心“と”永禄“の一文字ずつじゃ。つまり、祖父はそなたにヒントを与えておったんじゃ。祖父なりに新聞を通して、歴史上の出来事、つまりは関ヶ原合戦を、今のそなたの体の状態と関係あるんだよと、教え読み聞かせてくれたんじゃ。」

 

あまり、ピンときておられないな、と感じたので、今度は私の言葉で伝え直しました。

 

「Hさん、鳥栖の南、筑後から関ケ原合戦に西軍として参加した武将たちが、2~3体憑いています。関ケ原合戦は、東軍が有利になった時点で、西軍からたくさんの武士が寝返っていますよね。その寝返ることを“別心”と言います。おじいちゃんが、広げて見せていた新聞にあった、Hさんの見た“別”の漢字は、きっとその“別心”の別です。そして、“永”は、“永禄〇年”の永です。この霊たちの生まれた時代ですよ。関ヶ原合戦は確か慶長だったはずですが、要は、関ヶ原合戦に西軍参加しながらも、寝返った武士たちが関係していると、おじいちゃんは教えてくれていたようです。そして、その霊たちは別心を働いてしまったことを今、とても恥じており、もう一度、合戦の舞台に行きたいと願っています。その時の背徳行為が、今更ながら悔やまれて、未浄化のままだったと考えられるのです。おじいちゃんは、そのことを、おじいちゃんなりに一生懸命、夢を通してHさんに伝えようとしていたのです。Hさん、憑依している御霊のために、関ヶ原合戦の舞台、岐阜県関ヶ原町に行ってあげてください。コロナ禍だけど…。霊は、時に人間をタクシー代わりに使います。でも、やたら誰にでも憑くのではありません。霊も神も、何か分かって欲しい時、訴えがある時は、ちゃんと憑く人間を選んでいます。神霊の存在を信じる人か、信仰心があるか、優しいか、霊的体質か。これらが、そろった人間でないと、神霊がお知らせや助け舟を求めても、気付いてもらえないからです。人間からしたら、怖いし迷惑かもしれないけど、私は憑依を『神助けと霊助けのチャンス』だと思っています。後に、『人助け』をする以上にとってもいいことが起こるんです。霊も元は人間です。怖くないから、『私で良ければお手伝いしますよ』と、心に寄り添ってあげてください。」

 

と、ここまで言うと…

 

「先生、私、実は関ヶ原に行く予定を立てているんです。主人がそういうのが好きで。先日一度、行ったのですが、コロナで早く閉まってて入れなかったんです。だからまた、7月に行くことになっていました。」

 

「すごいねー!そうやって霊は、ちゃんと行く人だって見極めてるんですよ。」

 

「分かりました。早目に行きます。でも、それまでが不安です。また乗り物に乗って、この喉の閉塞感、息苦しさが出たら怖いんです。」

 

ここで、電話を繋いだまま霊視に入り、託宣を降ろしました。
「半紙の右半分に、神社の地図記号である鳥居、そして左半分には寺院の地図記号であるまんじを書くんじゃ。それを壁に立てかけてなぁ。次に、塩に米、酒を混ぜて、お皿に盛り、そこに帯のついたままの線香を火を付けて立てなされ。そして、線香の香りを仰ぎ、嗅いで、手を合わせ、『必ず行きますから、待っててください。』と念じるのじゃ。気付いてもらえたと解った霊たちは、これ以上の障りは掛けて来ないから、安心せい。」

 

実はこの電話の後、彼女はあまりの体調不良に帰鹿する予定でいました。

 

「Hさん、本当は塩に混ぜる米、酒は割合があって、また、真言やお経そのケースに応じてすべきことはあるんだけど、充分な対処法ではあるから、身体もきついだろうけど、頑張ってやってみて。」
と、取り急ぎの方法を伝え、私も遠隔で計らいました。

 

そして、翌日です。
実家に戻った彼女から、またも留守電が入っていました。

 

「自宅で線香を焚いた後は、身体が軽くなり、乗り物は大丈夫でした。でもまた、喉の閉塞感が出て来て、苦しいのでもう先生に浄霊して欲しくて…。予約をお願いしたいです。」

 

二か月目かな、体調崩して。
きついだろうなと思いました。霊を乗せたきつさは分かっています。

 

「Hさん、関ケ原に行く予定は立てられましたか?私が浄霊するとすれば、その後です。行けば解決します。そこに行くこと自体が、浄霊だから。私が、Hさんから御霊たちを引きはがすようなことを、浄霊としてすることになるのは、行っても尚、改善しない時です。でも大丈夫、霊は、連れて行ってもらう形の浄化を望んでいますもん。」

 

そして、私は続けました。
「霊に関係なく、身体がとても疲弊していますよ。“弱り目に祟り目”という言葉があるように、弱った身体には余計に憑き易くなるからね…。もしよかったら、私の信頼する薬剤師の先生がおられるから、漢方薬をお願いしてみる?子宝カウンセラーで有名な先生でもあって、私はこれまでそちらの方でも、氏子さま方をたくさん助けて頂いているので、信頼できるよ。」

 

「ぜひ、お願いします。」

 

「かわなべ薬局 
鹿児島市谷山中央7-25-5 
099-267-5058

 

私も連絡しておくから、安心して行ってね。」

 

翌日に、Hさんより電話。
早速趣き、漢方を処方して頂いて、飲み始めたことを聞きました。
それと、明日、関ヶ原に行ってきますと。

 

そして、次の日。
私は、終日過密スケジュールでした。

 

Hさんからメールで、関ヶ原に到着したこと、私にそこで特別なことをする必要はないから、ただただ散策、歴史に触れておいで、武士たちは思い思いの地点で放れるからと、言われた通りにしつつ、神社や寺院のように祀ってあるところも参詣し、名が刻まれた石を注意深く見ると、全部“永禄〇年”と書いてあったこと、何よりずっと涙が止まらなかったこと、そして、行きと帰りでは嘘みたいに身体が軽くなったこと、報告と共に御礼の言葉が連なっていました。

 

その日、私が最後の来談者をお見送りしたのは、20時過ぎでした。
それからやっと、Hさんと直接電話で会話が出来たのです。

 

「本当にありがとうございました。ずっと泣いていました。もう身体が、楽になりました。全然違います。そして先生、後で気付いたんですが、向かう途中、涙が溢れ始めた場所辺りからが、ちょうど関ヶ原町の町境でした。」

 

「よかったね。最高の霊助けだったね。Hさん、よく頑張ったね。あの憑依した霊が流す涙は、気持ちがいいよね。サラサラと。今後の“いいこと”が楽しみだね。新婚さんだし、ベビーちゃんかな?Hさん、漢方はせっかくだから飲み切ってね。身体は移動の疲れもまた出るから。それにしても、おじいちゃんだけどさ、せっかくなら”別“”永“じゃなくて、”関ケ原“って見せてくれたらいいのにね。なかなか、渋いとこ付いてくるね(笑)」

 

「あははは!本当ですね。」

 

先の笑い声と共に、電話越しのHさんが、健やかなる元つ身体(えだね)に返っておられるのを、私はしっかり霊視し、電話を切りました。

 

本日の奉務終了です。
これが遠山の金さんなら、桜吹雪を見せながら『これにて、一件落着!』というところでしょう(笑)

 

そして、神殿からリビングに向かう数歩の間で、私はいつものように“霊媒師からお母さん”に戻るのです。

 

写真は、霧島神宮です。
時間は、午後3時。
まるで貸し切りみたいに誰もいないなんて中々ないですよね。
でも、私にはあるんです!