2021年07月08日

試される霊査力(其の三)

「横浜から鹿児島にある夫の実家に、逃げて来たのですが、まだ狙われています。どうしてでしょうか?誰でしょうか?」

 

60代の女性から、唐突に切り出された私は、困惑しながらも以前臨床心理学で学修したロジャーズの“来談者中心療法”から、聞き手の在り方そのものに治癒的な機能があるという教えを思い出し、実行していました。

 

「横浜では、電車の中で知らない人から睨まれたり、また別な知らない人から足を踏まれたり。私の娘に子どもが生まれて、その孫に会いたいのに、娘が『お母さんといると怖い。赤ちゃんに何かあったらどうするの!』と連れて来てもらえなくなってしまったのです。」

 

女性は続けられました。
「それで鹿児島に引っ越して来たのに、また頼んでもいない出前が届いたり、チャイムを鳴らされたり、暴走族のような爆音を家の前で一晩中響かせられたり…。どうしていいか、分かりません。」

 

女性は、そこまでは、身の回りに起こった事象を少しおびえながら、お伝えしてくださっていました。
が、次の瞬間、意を決したように言われたのです。

 

「心当たりの人物がいるのですが…。」

 

その瞬間、私にも視えました。
「少し年が上くらいのショートカットの女性ですね。目がギラギラしています。」

 

「やっぱり…。実は横浜にいる時、犬の散歩で仲良くなった方なんです。あちらから初めは声を掛けて頂いて、次第にうちでお茶をする仲になりました。ところが、ある時、うちの庭先に咲いていた花を『これ、綺麗ねー。』と言いながら、ポキッとへし折ったのです。それを見た瞬間に、ものすごく恐怖を感じてしまい、それから、もう、うちへはお呼びしていませんし、お散歩もコースを変えました。でも、なんで?鹿児島に逃げて来たことは知らないはずなんです…。」

 

私には、この時、答えが分かっていました。
数学のテストを配られた時、問題をサッと見たら、直ぐに公式や解き方が浮かんできて解るようにです。

 

「まずは、その方の生霊が憑いています。それから…。」
私は、ここから先は『私の言葉』ではなくて、『大神さまの言葉』でお伝えしようと、神殿に身体の向きを変えながら、御神託を執り始めました。

 

「正にその者じゃ。そなたを、○○という宗教に勧誘しようとしておったなぁ。周りの知らない者たちからの嫌がらせは、皆、その宗教の関係者じゃ。この者たちの情報網、ネットワークはとことん徹底しておる。今回、この鹿児島の地で起きていることは、その女性が直接は関わっておらぬが、こちらの支部にその情報はしっかりと伝わっておるから、それに代わる者たちが徹底して動いておるようじゃ。」

 

すると、感極まり涙声になった女性は、
「あぁ!やっぱり!!先生、実は、ここに来る前に警察に行って来たんです。女性の事は、言ってないですが、いろんな嫌がらせのようなことが起きてるって。そしたら、警察はある宗教団体の名前を出され、『よく、ありますよ。』と言われました。同じことを神さまから今、言われたんです。」

 

「そうですか。勧誘したかったのでしょうね。…しかし、原因が分かったところで、それが止まないと苦悩は続きますよね。お訊ねしてみますね。」
もう一度、私は神殿に向き合いました。

 

「住まい近くに川があるであろう。そこに、5種類の天然石を流しなされ。」

 

この時も、大神さまがセレクトされたのは、米・塩・酒ではありませんでした。
すると、やはりこの女性も
「天然石ですか…?」
と、不可思議を覚えたようでしたので、私は少し講義をすることにしました。

 

「先ず、このような特殊なケースは、一般的に米・塩・酒ではないことがほとんどです。今回、相手は特に“神”ではありませんからね。そして、天然石についてはいろんな種類がありますが、色に決まりがあります。緑・赤・白・紫・黄の五色です。こいのぼりの吹き流し、七夕の短冊などにも、古来神事や風習に使われている色です。元々、中国の陰陽五行説に由来していて、それぞれ木・火・金・水・土を指しています。この世のあらゆるものは、全てこの5つの要素から成立しているという考えがあるのです。大神さまは、万物が穢れ(けがれ)を祓い清めるという意味を込めて、そうしなさいと言われたのでしょう。実は、皇族方がお住まいになられている御所の下には、この五色の天然石(宝石)が埋められていると言われています。皇族方は神に近い存在であられますから、古代よりその意味をよくご存じだったのでしょう。私たち神職が修祓(車清め祓いなど)を行う際に撒いている紙も、本当は宝石を使いたいのですが、そんな訳にはいかないので、紙で代用しているのですよ。宝石はお値段が張りますが、小さくても良いのでご準備ください。翡翠・ルビー・本水晶・アメジスト・トパーズなどで良いと思います。もし、紙で代用してもいいなら、大神さまはそのように言われます。でも、今回代替ではいけないということです。」

 

「ありがとうございます。分かりました。早速やります。」

 

「はい。お願いしますね。そして、それらを川にお流しする時は、注意して頂きたいことがございます。川には当然、水神さまがおられます。いきなり立ち入り、お流しをしては、ゴミを流されたかとお怒りになられます。障りを受けてはなりませんので、必ず塩を撒いてから『場所をお借りします。』という旨のお断りをしてなさってくださいね。そして、流し終えたらまた、『場所をお借りして、ありがとうございました。』とお礼を言って、塩を撒きその場を清めてから立ち退いてくださいね。頑張って。」

 

それから一週間ほどして、その女性から『お礼参りをしたい。』と新たに予約がありました。
私は、日々萬相談に明け暮れていますから、誰がどのケースやら作動記憶は直線で繋がっておらず、一所(ひとところ)に固まっているような状態もよくあるのですが、やはり特殊な案件はその中からでも上手く手繰ることが出来ました。
「お待ちしております。当日は、気をつけておいでください。」

 

「先生、ありがとうございました。川にお流しをした翌日から、いろんなことは嘘のようにピタリと止みました。でも…。」

 

「それはよかったですね。でも…?」

 

「はい。実は、お流しの時、愛犬を一緒に連れて行ったのです。午前中でした。そして、その日の夕方に、その犬が急死しました。死因も分かりません。元気だったのに…。」

 

私は、分かっていましたが、敢えて大神さまにお訊ね申し上げました。

 

「この子は、自分がきっかけを作ったと、責任を感じておったからな。修祓を見届けたら(この問題が終結したら)、身を引こうと思っておったんじゃ。また、同じようなこと(散歩がきっかけで始まるトラブル)があってはならないとも思ってな。飼い主思いの子じゃな。高尚なたましい故、次は人霊に生まれ変わるであろう。」

 

泣き崩れる女性の姿を、私は時間いっぱい、ただ見護っていました。

 

写真は、狭野(サノ)神社の拝殿です。
鎮座地:宮崎県西諸県郡高原町蒲牟田117
主祭神:神日本磐余彦天皇(神武天皇)
社名は、神武天皇の幼名“狭野尊”に因むものです。

 

今年も素晴らしい神職さんたちによって、夏越の大祓(なごしのおおはらえ)の綺麗で立派な茅の輪(ちのわ)が完成していました。
浄化と狭野の大神さまの慈しみに満ちた杉の参道、また類を見ない境内に流れる清浄な宮川も併せて是非、ご参拝ください。

 

尚、この清流に鎮座される水神の御社ですが、老朽化しております。建て直しの為の寄進を心に願う方は、私と故・後藤倫太郎さんの仲間であり、狭野(サノ)神社の象徴と言っても過言ではないでしょう、小多田将志神職をお訪ねくださると幸いです。
そしてまた、お時間と初穂料をご準備出来る方は、この小多田神職による素晴らしい祈願や修祓をお受けになられてみてください。私も生業柄、多くの神職たちの祝詞奏上を耳にしますが、彼の右に出る人に未だお会いしたことがありません。お作りなさる祝詞も、その声色にもきっと惚れ惚れするはずです。しかもイケメンです(笑)!余りいじると、怒られる(笑)

 

狭野(サノ)の大神さまは、以前私に小多田神職のことを
「どうじゃ、いいやつじゃろう?ユーモアもあって、頓智も利く。この者の祝詞は心地が良い。ここを(狭野神社)任せておるんじゃ。」
と、嬉しそうに言われました。
小多田神職にお声かけなさる時は、私の名前をお伝えくださって構いません。

 

参詣する時に、神職さんたちが待っていてくださる、また喜んでお迎えしてくださるそのお姿に、大神さまの御心を感じ取れてなりません。

 

先日も私は、『人々の心の拠り所である神社に奉職くださる神職さんたちに敬意を表し、労く(いたづく)職員一同が常に清らかであられるように、御護りして差し上げなければならない』と衷心より感じ、その思いを伝えました。
すると、小多田神職は逆に、町なかで孤軍奮闘する私を護らねばと仰ってくださいました(笑)
彼は、本当に頭が良いので、語らいはそれこそ心地よいのですが、いつも上を行かれてしまいます。(そんな時はいつも、倫太郎さんが涼しげな顔で、私に白旗上げている気がしてます!)
今回のお便りの茅の輪の写真は、小多田神職が撮影し、送ってくださっています。
小多田さん、ありがとうございます。

 

いつの間にか、今年も折り返しを過ぎましたね。
申し訳ございません。
全国、いや、海外在住の氏子さま方も、ものすごくたくさんの人たちが、御精読くださっていますこの『神職のお便り』ですが、いきなり再開し、また無期限でいきなりお休み致します。土日ごとの終日のスクーリングや、次々と提出期限の迫る論文や試験に追われる日々、思った以上に手を取られております。

 

まだまだたくさんのお伝えしたいこと、御理解も頂戴したいことはございますが、しばらく暇(いとま)をください。
どんなにやる気があっても、“時間を要すること”というのは必ずあります。私は、時間だけの問題で、結果を後悔したくないのです。
生きていれば、大事なことというものはいくつもありますが、その中でも“優先順位”というものが確かにありますので。

 

しかしその中でも、サプライズでのお便り更新や、ぎりぎり十月いっぱいまでの御予約、また新年の厄祓い・星祭り・合格祈願を年明けから承ることが出来るように、先ずはひた向きに努めて参りますね。

 

日向高千穂神道の氏子さま方に於かれましても、笑って新年を迎えられますよう、下半期を有意義に、そして健やかに過ごされますことを遥かに祈念申し上げます。