2020年05月14日

ややこしや・・(その1)

「屋号を決めよう!」それまでは、確かに創った名前を使用したりしていました。

だから普遍的に予約を拝承し、当日いざ神殿にてお迎え致しますと「あれ?同じ方ですよね?前に先生に視て頂き、本当にその通りになりました。今回、こちらにもいい先生がいらっしゃると、友人から聞いて来たんですよ!」と笑いながら言われることがあります。十年以上前にお参りされていた方々に多いようです。

※予約用の携帯番号は変えておりません。

 

実は、私が異ならして来たのは呼び名だけでなく大神さま等の鎮座地もそうですから、“名と地”双方が照合されなければ、そうなってしまいますよね。

「申し訳ありません。同じ人物です。決して、何かをやらかしてリスタートしたわけでも、あの手この手で集客しようと企てたわけでもないのです。」と、愚直に応答しようか考えあぐねていると、有難いことに「やっぱり、先生に縁があるんですね!あちこち行きましたが・・」とお話くださいました。

 

皆さんの中には、『ドクターショッピング』ならぬ『神さまショッピング』をなさる方もおられるでしょう。私に「先生、ごめんなさい‥。先生がお産でお休みだったから、よそに浮気をしました。」と面目なさそうに告白する方がおられますが、それに関しては、私は特に厭わないのです。しかしその方が、なぜそんなに心咎めておられるかというと、あるところで、よそを訪ねたことを伝えたら気を悪くされて、「うちではもう視ないよ。」と言われたようでした。また、他にも「次の予約を入れて帰らないと、何かあっても知らないからね!」と恐怖心を煽るようなことをいうところもあるようです。

 

その方の御相談の内容が、「因縁の深さから、子供が短命かも・・と言われました。本当でしょうか?」というものですから、必然的にどこで・誰に・言われたかを話しますよね。それで、“よそに行ったことを申し伝えなければならないこと”が当然発生するわけです。でも、それで頼って来てくれたなら、良いじゃないですか!少なくとも私は、そう思うので、そんな序章のような箇所でフリーズなど致しません。そもそも趣旨はその奥ですから。

 

ご存じの方もおられるかもしれませんが、世の中には“霊術師”なる存在もいます。お祓いをしては、帰り際にまた霊を憑依させて、すぐにお祓いに来るように仕向けるのです。何度も足を運ばせて、無用な儀式を繰り返しては高いお金を請求しています。

また、他にも私のところへおいでになった方々の実際の話ですが、友人に付いて行っただけなのに、あんたも視てあげるからと言われ、持ち合わせがないと断るも一方的に先祖供養され、結局お金を納めさせられたとか、別な方は自宅にまで来られ勝手にお祓いをされ、高額請求を受けたとか、仏像を何体も購入させられ、祀らされたりしている方もおられました。

 

そんな時いつも私は、もっと早く大神さまの大御前に参られたなら良かったでしょうに・・。と心痛します。

神仏の障りであっても、先祖の知らせであっても、私の信条はこれまでもお伝えしているように、先ずは御神託に基づいて、皆さんに出来ることをして頂きます。仮に渇望されたとしても、神仏をやたらとお祀りなど致しません。勧請する私自身にも責任が生じるものと考えていますから。これまでも記しているように、浄霊に至っても私が手を掛けるとすれば、ちょっと厄介だな(身罷りたる恐れあり)と判断した時くらいです。

皆さんの御相談の中には「昔からあるものなんですが、それを祀ってくれた方が亡くなっていて(あるいは連絡が取れなくて)、どうしたらよいのか分からないのです。」と祠や社、仏像に手を余らせている内容も稀有ではありません。

 

然しながら、『袖振り合うも他生の縁』と言います。何よりその時の己の波動が共鳴して、そこに自らの求むるを見出したのかもしれません。また、多角的に視るとそこに“学びや気付き”が盛り込まれており、蓋を開けると導きたるはいやはや大神さまであったり、“可愛い子には旅をさせよ”なる子孫を思う先祖霊であったりもしますから、投機的でなかったと一概には言えないところもありますでしょう。

 

誰も不幸に向かって走っている人なんかいません。

みんな幸せになれると思って進んでいるのです。

けれど、そうならないことも多分にありますものね。

何故ならそれは、ここだけの話・・。

『実は“こっそりたましいに課題を与えている大神さまの御計らい”である。』からです。

と、先に気付いてしまった私もまた、『皆さんに“こっそりネタバレ”をする。』こととします(笑)

 

どうも神代の世界は、“結果”ではなくむしろその“過程”に重きを置いておられるようです。

何かを求むるプロセスにおいて、“学びと気付き”を与えるために、そこを目指す気持ちを丸ごと大神さまが“敢えて”持たせていたりもするのです。

解り易く持ち出すならば、結婚においては『相手を好きという気持ちを持たされて』『幸せになれると思って』進み行きます。が、実はそこからもう既に大神さまのマジックに掛かっているということです。誤解を恐れずに申し上げると、叡智なる存在は、有限的価値観にフォーカスを当てた、幸か不幸かなんていう人間の尺度で感ずることなど、どうでもいいのです。各々のたましいの成長を辿る姿をこそ、目を細めて見護りくださっています。勿論、自分は“結婚が行”にはなっていないという方もおられることでしょう。その場合は、例えば病気であったり、金銭的なことであったり、親子の問題であったり・・と、甲乙はあれども何かしらの苦悩や葛藤の中で“学びと気付き”が与えられることになっているはずなのです。そしてそれは、当人にとって、いちばん真剣になれるカテゴリーであったり、避けて通れない環境であったりするものです。真剣に取り組まされるために・・。

 

私は、長らく神の世に奉務しておりますが、『もしかして、大神さまって、詐欺師?』とたまに罰当たりであろう言葉が口をつきます(笑)

恐れ多くも、私なりに大神さまと構築してきた信頼関係に則っての戯言なのですが、正に今、「お前が言いそうなことぞ。」そう言われた気がしました(笑)

 

ここで、改めまして・・。

現在、キンジョウと名乗っていますが、イナモリもクメも、私が以前使用していた名前です。

中には、現在の名を「カネシロさんですか?」と尋ねる方もおられますから、ややこしや・・

がまた続くのです(笑)

 

ところで、パソコンに疎い私は、連休明け、奥田さんより丁寧に教わりましたが、それでもどうしても、“公開ボタン”だけは押す勇気がなくて、今回は遠隔操作してもらうのでした(笑)