2020年06月25日

言葉はその人の・・

公式ホームページを開設、初公開してから、毎週木曜日を更新日と定め、締め切りに追われる作家のように『神職のお便り』を綴り重ねて、ふた月経過したところです。

 

木曜日というのは奇遇でした。昨年、出産した赤ちゃんの妊娠中、週変わりが木曜日だったこと。それから、公開前の最終チェックが終わり、たまたま担当の奥田さんが『日向高千穂神道』の公式ホームページを、世に後押ししてくださった日が木曜日だったのです。

それ故、木曜日を足る日と斎(いわい)定めて慈しんでいるところでございます。

 

しかし、一週間というのはあっという間に過ぎていくものですね。

日常はとにかく“生活を回す”ことが最低条件です。朝六時には起床して、高校生組のお弁当作りから日が明けます。これは、コロナ感染拡大防止のため、学食が完全閉鎖になった当初から続けているうちに楽しくなって来ました。そして、朝ご飯の準備、洗濯物、赤ちゃんを保育園に送って行く。これと並行に、神殿と待合室の準備、トイレ掃除、屋外、玄関の掃き掃除、朝から届く予約のメールや電話の応対をしながら、修祓が入っていれば授与品の用意をします。そして日中、奉務に預かり、時間外予約もこなし、歯医者や赤ちゃんの予防接種、上の子たちの塾の送迎・・。その勢いのまま、いつだったか記した通りのような夜を過ごしています。

 

「子供たちみんなお風呂入ったね。洗濯機セットしよう。ご飯は、タイマーかけたし、保育園のお手帳も書いた。よし!寝よう。」

この一日の締めのセリフが私の口から出る時間は、大抵、既に明日になっている1時頃です。赤ちゃんを高校生のお兄ちゃんが、いつものように寝かしつけてくれた後から、私は次の国試に向けて勉強をしています。

 

日々のルーティン作業に徹する充実感は大変心地良く感じていますので、苦ではありません。

『どんな困難なことも習慣にしてしまえば、何ともない』

が、私のモットーです。

 

ところが、二つだけ困難なことが生じる場合があります。

ちょうど私が寝ようとした時に、早い時間から寝てしまった赤ちゃんがすっかり目覚めてしまうこと。若しくは、私は6時起きなのに4時半・5時くらいから、これまたすっきり目覚めて遊び始める赤ちゃん。もう、最悪です(笑)前者の場合、私の入眠の仕切り直しは簡単にはききませんので、結局2時頃の就寝となります。また、後者の場合ですが、「まだ早いよ~」と遊んでいる赤ちゃんに背を向けて寝たふりを続けても、顔をペシペシと叩かれたり、鼻の穴にあの小さい指を限りなく突っ込んで来られたり、おまけにどうやってその技を身に付けたのか私の髪の毛を一本ずつ抜くんですよね(笑)もう、痛くて寝てられません。私は怒ってるのに相手をしてもらって満足した赤ちゃんは、私が起きる頃に自分だけまた寝ます(笑)この年での6人目だし、孫のようにかわいいので許せますがね。

 

さて、ホームページを公開してから、皆さんへ順にショートメールにて開設の報告をしていきました。今日は『か行』の方たち、明日は『さ行』の方たちと、日を違えて少しずつの送信でした。

そのような作業にしたのには事由があります。私は存じ上げませんでしたが、ショートメールというのは、一日に送信可能な件数が決まっていたのです。私の予約専門の携帯のアドレスは、三ヶ月ほどで参詣済の方を消去していくのですが、それでもとんでもない登録者数です。時間があるうちに一気に送ってしまおうと考えましたが、『あ行』半ばで見たこともない赤いバツ印が表示されました。私は、それをいつもの霊障と思い込み、携帯電話に向かってひとり、こそこそ“九字切り”なんかしていたら、小学生の息子に変質者を見るような目で見られてしまったのですが、それがなんとネットで調べると『ショートメールの送信数限度を超えたためこれ以上は一日経過しないと送れません』という表示だったことが判明しました。だから、それ以降は、件数を絞って数日に分けてお知らせすることにしたのです。しかし、後半になると、『知ってますよ。』とか、『もう拝見しました。』とか結構な方が御存じでしたのには驚きましたら、『か行』の方が『ま行』の方に、『や行』の方から『ら行』の方へと、見えないところで口伝えが既に行われており、『日向高千穂神道の連絡網。よきかな。』とちょっと嬉しくなりました。しかし、一方でつむじ曲がりな考察をしますと、人の噂や疫病もこのように及んでいくということです。

 

以前、あるお客さんが職場の人間関係の御相談をされました。信頼していた人にだけ話していた事を、いつの間にか職場全体の人間が知っていて居づらいと。大神さまは「あのなぁ、洩れるのはいつも自分の口から。」と端的に云われました。そうなんです。関係ないあの人が知っているのも、元を正せば自分が発信源なんですよね・・。

 

 

ところで、その返信の幾つかに、

「ホームページの開設、おめでとうございます。」

というひと言が、先ず添えてあったことが私にはとてもセンセーショナルでした。

IT語録に精通していない者には、その言い回しがいたく目を潤したのです。

 

振り返ると私、小学生の頃から作文を書けば必ず賞を頂いていました。所謂、総なめってやつです。文章を作るのは嫌いではありません。もう時効とみて実を言うと、子供たちの作文のほぼほぼゴーストライターをしていました。新聞社主催の入賞も全国コンクールの優秀賞も、まさか受賞するとは思わずに、『じゃあ、洗濯物全部干してくれたら、その間、代わりにこれ書いてやるぞよ』なんて家庭内司法取引みたいなことをしていたのです。あぁ、担任の先生方、ごめんなさい。

 

しれっと、話を戻します。私は、本もよく読んで来ました。高校時代はどういうわけか、彼氏そっちのけで“FBI”と“UFO“に関する本ばかり読み、そっちで興奮していました(笑)

 

こうして元より、言葉が好きでまた言葉に敏感な私ですから、『ホームページの開設、おめでとうございます。』という目新しい表現に、おいそれと心を奪われてしまったのです。

 

シンプルだけど、なんて上品でたおやかな表現なんでしょう!

開設に至るまでに私が費やして来た、労力もエネルギーも時間も費用も全てがこの一言で労われ、報われただけでなく、偉業を成し得たかのように誇らしささえ授けてもらえた気がしました。

 

『ホームページ開設おめでとうございます。

知性溢れる美しい日本語と彩り豊かな写真に心洗われ、拝見しているだけで参拝したかのように気が整った感覚です。

早々ですが、本水晶を自分用に一体賜りたく存じます。宜しくお願い申し上げます。』

 

私への返信として、送られてきたメールのひとつを御紹介しています。

たまたま本水晶の購入希望がおありになったのでしょうが、それを無機質に伝えて来られるのではなく、過分な程の枕詞を上置きしてくださったこのメールの送り主のお方は、なんと男性です!

日本人ゆえに理解できる感性を確かにお持ちで、『心洗われる』とか『気が整う』なんて、例えようのない素敵な響きを含めた言い回しをサラリと駆使しているところがたまりません。

毎年欠かさず、ご家族の星祭りにおいでになるのですが、そう言えば、この方には薩摩琵琶を嗜むことを勧めるなど、思えば大神さまはよく風情ある御神託をくださっていました。

 

かのような返信を頂戴し、私こそ逆に感銘を受けておりましたら、大神さまがこんなことを云われました。

「あの者、かつて孟子(孟浩然)をそらんじたほどの英才じゃ。」

それと同時に、彼のその時の姿(藩主のような高尚な武士)が視えました。

 

後日、お受け取りにおいでの際にこれを彼にお伝えしました。それともうひとつ、『鹿児島は大隅にある、旧邸○○家を訪ねてみなされ』とも云われていましたよということも忘れずに添えて。情緒と風情にあふれる旧邸は、彼のような繊細な感性を持つ方にはどうやら聖域と成り得るようなのです。

本水晶を受け取るだけのつもりで来られたであろう彼は、卒爾に過去世を聞かされ、また旧邸を訪ねなされと云われたものの、私がその家名をうろ覚えであったことなどから、霞がかった思いで帰路を辿られたことと案じておりました。

 

気になって翌朝、私なりに調べてもみたのですがどうしても思い出せず、お詫びなのか数打ちゃ・・なのかの意図もせぬまま、とにかく彼に県内の旧邸名を羅列したメールを送信してみました。すると、

 

「おはようございます。

早速、本水晶を身に付けたところ、ピリピリ?ジンジン?としたものが体に入ってくる不思議な感覚!

その後は、スッキリと心と体が穏やかになり、車の運転中は危険を察知する感度が鋭くなりました。

価値あるものと引き合わせてくださり、ありがとうございました。

また、私の調べ事に貴重なお時間頂戴し、ありがとうございます。

 

前世でのお話、孟子(孟浩然)だったんですね!

調べてちょっと驚きエピソードが!

高校の書道で色んな漢詩の中から好きな五文字を選んで書写するという授業で、彼の漢詩『春眠不覚暁』の一節を書写していたんですよ!何かしら引っ掛かるものがあったんでしょうね。

 

旧邸ですが、私が引っ掛かったのが、大隅の二階堂家で、早速いつ行くか日程を思案中でした。先生のお調べくださった箇所もぜひ足を運んで、心と体の声に耳を傾けてみます!」

 

と、またもこちらが感服する丁寧で真心の籠ったメールの返信がありました。

しかも、答えまで!“二階堂家”!そうでした‼

言いっぱなしの私の方が責任という濃霧の最中におりましたが、完全に晴れました(笑)

 

そして、本水晶の初穂料には、お気持ちを添えて頂いておりました。

高校の選択授業にて、書を学ばれておられたということから察せる美しい(うましい)字をのし袋に認めてくださっていた中には、すべからく新券が包まれておりました。

洵に痛み入ります。

 

言葉は、本当に大切です。

それを体得している人は、自ら発する言葉にも気を付けていますし、また相手の言葉にも敏感で行間まで読もうと努めたり、行間から溢れ出るをも拾い上げたりしています。

皆さんも拙い私の長文ですが、何度となく目を通してくださり、途中に織り込まれる大和言葉も調べながらでも受け取ろうと精励されています。

「一度読んだだけでは読み飛ばしていたり、理解が足らなかったことも二度三度読んで腑に落ちました。」

と、言ってくださる方が大勢いらっしゃいます。恐縮です。

 

私が心理士の勉強をしていた少し前、情報化社会が生活に与えた影響について良くも悪くも考えさせられました。一昔前はネットもなく、分からないことがあれば人生の先輩やその分野に長けている人に直接教えを乞うしかありませんでした。先輩方に時間を割いてもらうのですから、当然気を遣わねばなりません。それでも“頑張ってね”とか“困ったらいつでもおいで”と心温まる声をかけてもらい、そんな人と人の関わりから前向きに進めることが出来、人間関係に支えられて成長していく実感を得ることが出来たのです。また、そのやり方では、先輩たちを嫌な気持ちにさせないように、知りたいことを聞き出す有効なコミュニケーション技術も同時に鍛錬されていたはずです。

 

しかし、現代を生きる人々は、必要な情報を自分一人で知る術を持っているため、他者に聞いたり、教えたりする人間関係を築く経験が非常に希薄になってしまいました。スマホやパソコンが相手だと、多少不正確な検索の仕方でも、膨大な情報量から何かしらヒットし提供してくれます。故に端末相手に、伝え方を間違ったとしても、あやふやで迷惑かけたとしても、“ごめんなさい”は不要です。そして、なんと解決後に“ありがとう”も言わなくて終われるのです。だからでしょうね。“ごめんなさい”と“ありがとう”がさっと言えない人間が増えたのは。

 

造語や略語がさも格好いいように、時と場合を鑑みずに使われているのを拝聴しますと、その使い主の身内でもないのに、身の縮む思いがします。

 

『名は体を表す』と言いますが、『言葉はその人の資質を表す』と私は新しい格言を提案したいくらいです(笑)

 

因って、先に紹介差し上げました男性には、尊ささえ覚えたのです。その廉潔な状(さま)を是非、皆さんにもお知らせしたく、またこの機会に“言葉や表現”について、ご一考して頂きたく、本人に了解を得て文字起こしをしました。

 

待合室の言霊の額のひとつにも、いつの日かに大神さまが御神託で云われた、

“ひとつの言葉で落ち込んで

ひとつの言葉で乗り越える

言葉ひとつの責任感”

とあります。

 

 

ところで日々に追われ、遠のいていた神社参詣ですが、先日久方ぶりに運ぶことが出来ました。私は参詣予定を基本立てません。計画すると必ず『魔的な物に邪を刺される』からです。(要するに邪魔が入るのです。)光が広がると影は狭まりますから、私が光を得ることを嫌うのです。

神社は私の霊性部分の病院であり、エネルギーの仕入れ先であり、たましいの実家でもあります。

 

その日は、鹿児島市平川の烏帽子岳神社へ呼び出されました。“呼び出し”とは日常のことをしている最中、タイミングも選ばされずしてランダムに神社仏閣を一方的に視させられることを以て私がそう呼んでいます。これは、大神さまが勝手に私の意識に横入りしているなと前々から睨んでいるのですが、お訊ねしたことはございません。

なぜかって?以前、私はどうしても寝付けずにいたことがありました。身体は疲弊しているのに、気が騒いで・・。すると、神殿に呼ばれ祝詞を上げなさいと云われるではありませんか!丑の刻にですよ‼そして、続けてこう云われました。

「いいか、この国は寝静まっておるが、あっちはガチャガチャやっておる。お前はその『気』を身体に受けておるのじゃ。他国の抗いが治まるよう祈れ。」

ちょうど、イスラム国の残忍なニュースばかり目にする頃でした。

大神さまは、時々私が“肉体を持つ存在”であることを平気で割愛します。こんな感じですから、訊ねても不可抗力でしょう(笑)

 

ところで、この烏帽子岳神社はかつて私が『勧請』をした時、存在することも知らなかったのですが、それでも名を上げて(私の目に漢字で神社名を視せて)くださった神社のひとつです。本社は烏帽子岳そのものにあり、昔は不治の病と言われていた結核も一晩そこに泊まれば治るとされていた修験のための霊験あらたかな地に鎮座します。下から山登りをして2,3時間歩くか、指宿スカイラインの途中で車を停めて山道を40分程歩くかにて目指せるのですが、私のように霊媒体質の方には今回私が参詣した分社の方をお勧めします。

 

本社への道すがら?うーん、それがですね・・。

座り込んで泣きじゃくっている幼女に気付かれるとたちまち付きまとわれますし、飢餓状態の体でほふく前進して向かってくる老人男性もいます。二人でひそひそ話をしていたはずの、中年女性たちに振り向かれるや否や直ぐに包囲されてしまいます。それだけではないのです。

おもしろ半分で足を運ぶところでもありません。

 

話を戻します。『勧請』後、私がこの烏帽子岳神社に縁が繋がっていたことは、やがて御祭神を知るところによって明白となりました。

鹿児島には珍しい“須佐之男命”と“手力男命”の二柱なのです。須佐之男命さまは、私を依代になさっている一柱であることは言うも更なり、手力男命さまは天照大御神のお隠れになった戸を投げられた神で、高千穂所縁の大神ですから!

 

「此度、ホームページを開設致しました。これは、営利目的ではなく、私の信念や信条を思いや考えと共に皆に正しく分かってもらうためです。インターネットの世界は、日本人たるを失念し、自己高揚動機を得るための自己陶酔と勘違い、あるいは残忍さで溢れています。実際私の申し伝えや、大神さまの託宣も安易に異形質で記されているのです。そこで、私が自分で正しく伝えようと思った上での奮起です。ここに抱く心緒を理解してもらいたいのです!」

と申し上げると、須佐之男命さまが

「反対、反対じゃ!お前に世の中のレベルを見せるために、ホームページを開設させたのじゃ。」

と云われました。

「うん?」

 

その時の私にはこの託宣の意味が分かりませんでした。