2020年07月02日

大神さまの目論見

『ホームページは、私が自分の意志で開設したつもりなのに。もう!また大神さまは、“開設させた”なんて、上から被せて来るかなぁ。』

 

ところが、それから数日のうちに須佐之男命さまからの言葉の意味が分かり始めました。

 

ある者からは、この“神職のお便り”を読んだという感想の中での考察力や気質が見えて来ました。それにて私は、性格や育ちと立っている位置で思考は協応しないことに気付かされました。また、ある者には、新しい予約のルールにおいてホームページの確認を促すも一向にしてもらえぬまま、再度の連絡を受け、またも一方的に予約の希望日時のことばかりを問われるので、結局一から改正の事由や現状までを口頭やメールで説明する羽目になり、ホームページの在する意味を見事に喪失してしまいました。或いは、こんな方も・・。“仮予約”と三時間三名分押さえられたものの、「他の二人に初穂料を含め聞いてみます。私はお願いしますが。」と言われたまま、一週間ほど連絡なし。『そう言えば・・、初めての人は、最低でも一時間御予約頂かないと出来ませんって伝えたし、ホームページにも何故、そのように改正したのかの旨も載せてありますからご確認くださいと重ねて口添えもしたけれど、ちゃんと確認されたのだろうか。30分は出来ないのかと普通に聞いて来てたよな・・。』とため息を抑えられぬまま、もうこれ以上待てないと思い、仮予約の三時間をどうするのか、他の皆さんの問い合わせにもう10日後を案内している状態なので、早く確実なところを連絡頂きたい、ここがもし空くようなら、必要な方に案内して差し上げたいのですがという内容をメールしました。すると、直後折り返しの電話があり、結局お願いすると言っていたその本人の予約も無く、ひとりだけの予約を入れられました。二時間も無駄だったのです。確かに今回ご紹介もくださいました。これまでも長く足を運んでくださった方です。でも、『長くお待たせして申し訳ありませんでした。』の一言もなく、私からしびれを切らして連絡した流れで始まって終わった今回のことには、私の心がもう辟易していました。これまで親しんでくれていたのではなく、馴れ合っていただけだったのだなと残念に思えたのです。もしかしたらホームページも一応見られたのかもしれません。でも、その上で初めての方の予約を30分で、と言われたとするならば『私が頼んでるのよ』というような尚更褒められぬ心持ちだと考えてしまいます。

 

「こんなのは、お願いしてくる姿勢じゃない・・。」と、得も言われぬ心せむなさは数日消せませんでした・・。

 

「まだ本性出してないですよね。」

ある男性に、私の綴る神職のお便りを見ての感想をそのように言われました。この方も長く参詣に来られる方でしたから、私も流石に毎回よそよそしくはしていませんでしたが、その評価のされ方には違和感を感じました。

 

なんか嫌な感じ・・。私はそんなに親しかったっけ?

 

この『なんか』は、侮ってはなりません。私たちはたましいで感応して生きています。たましいの覚える感覚は人間の最高司令部である脳が生み出す考えとも、先入観とも明らかに違います。皆さんも一度や二度は経験があるはずです。

『根拠も証拠もないけど、なんかそんな気がする。』というような感覚。

 

それが、ひと月後に的中しました。その彼の紹介で初めての女性が来られたのですが、開口一番に「本当は、来たくなかった。でも、金城さんが○歳でまた赤ちゃん生んだとか。ファンキーな人だなぁって、そこに興味あって。」と言われたのです。

 

私は最近予約を受ける時、メールを主としています。しかし、不思議なことに、何故かこの女性とは電話で会話していました。癖や灰汁を感じるような時は、手帳にマークを付けるようにしているのですが、確認するとやはりチェックを入れていました。

 

「・・・・・。どうして、私の年齢を御存じなのでしょうか?そして、ファンキーな人ってどういう意味でしょうか?私は、どう捉えたらいいのですか?」

本当は知性の欠片も見て取れない様から発せられるそのセリフに応答もしたくないくらいでした。しかし、先ずはこの女性のいろんなことを正さなきゃ、大変なことになると『なんか』焦燥感が込み上げてきました。するとこの方、「まだ1年足らずだけど、リーディングを仕事にしていいか。わりとやれるもんだなぁと思って。カフェで会ってとか、ネットを通してメールなどでやってる。」と言う内容を話されました。

 

いくら占いの類だとしても、そんな簡単に金儲けのツールみたいに考えて携わっているのは如何なものかと、「あなたのリーディングの根幹は何ですか?」と聞きました。しかし意味が分かっていないようでしたので、根幹の漢字と意味を咀嚼して飲み込むだけにした状態でお伝えしました。すると、「タロットカードを使うのと、あとは思ったこと感じたことを言えば結構それでやれてる。」というような返答でした。

 

どういうルートで彼に繋がり、この女性がここにおいでになる運びになったのかも聞けば、彼のブログだと、そして実際本人とも会ったと言われました。

 

もう、なにもかもが違う!私には考えられないことばかりでした。

 

私がこの年齢で迎えた出産は、妊娠後期になって急に赤ちゃんが逆子になりました。鍼灸院にも一日おきには通い、足の小指の先の熱くて痛いお灸にも耐え、毎晩地味に結構辛い逆子体操をし、逆子チェックに毎週通院しました。いつ子癇が起こるかもしれない母体を全身管理が必要と言われるマグセント投薬で数十日の管理入院にて必死に耐えて、初めてのカイザーを経験し、術後もくしゃみや咳さえ恐れ、寝返りも打てず、両腕には二種類の点滴と24時間血圧計をつけて、それらを絡ませながら個室内にある2メートルほど先のトイレに行くのでさえ片道30分程有した辛いものでした。細くてくねくねした私の血管はラインを取るのが難しいので、オペ前も6人目の看護師さんでやっと成功しました。ただでさえ、それまでの点滴で腕は交通事故に遭ったかのように大半が変色していました。私が心から尊敬する本物の助産師(現在は育児にて現場を離れておられますが、日向高千穂神道の氏子さんでもあり、私の今高校生になる娘を取り上げてくださった方です。)が涙目になって「頑張りましたね‼」って仰ってくださった、そんな大変な思いしての出産だったのに、全く知らない、しかも今回私にお願いしますと来るはずの立場の人間からいきなり“ファンキー”の軽いひと言を容易く投げかけられ、不快の極みでした。

 

ネット上で知り合った人と実際会うなんてことも、私には考えられない。そして、何より、こんな言葉も教養も持ち合わせない人が言い値でお金をもらい、人に主観レベルで『リーディング』などとして物申すなんて有り得ないと思いました。と、同時にこんな人に私の紹介をするのに、予約情報とは関係ない、年齢やプライベートを私の知らないところで勝手に伝えていたあの男性にも不信感が溢れました。

 

「これは、彼に釘を刺さなきゃいけない。今後もこんな紹介の仕方をされてはやりにくくなる。」

 

ソーシャルワーカーとしても心理士としても、私が資格を取得する際、学びが被っていたのですが、専門用語で“初頭効果”というものがあります。人間は初めに入ってきた情報を強く印象付ける傾向を持っているのです。

仮にも神職として神域を預かっている身です。私と“その面”で向き合う縁に、どうしてパーソナルな情報が必要でしょうか。友達じゃないのです。仲間になろうとしているのではないのです。

 

ふと、『彼はブログをしていると言っていたな、見てみよう。そこには本質が垣間見えるはず。そこから、今後の関係性を考えていこう。』と思いました。

そして・・。

そこに記されている内容に、啞然としました。

『自分の文章には相当なエネルギーがある。病んでいる人や精神性の低い人は、このブログを読みたくないまたは読んでいて疲れるはず。そして離れていくのは仕方ないこと。僕を鏡にして新たな自分自身を発見するはず。』etc・・

 

私は彼が、神仏にいい意味で興じていると思っていたので、私で分かることでしたら神代の世界の事、お教えしますよと向き合って来ましたが、ここに来て、別な方から実は神事(かみごと)をしたがっているようだと聞きました。ほぉ~!そうだったとは・・。

神殿においでになる平身低頭の姿勢とは全くの別人。私がこの男性のブログの文章から感じた発っせられているものは、彼が言う“エネルギ―”ではなく、“傲慢さ”でした。

日向高千穂神道で授けた託宣も、またその時の私の所作まで面白おかしくネタとして描写してありました。

 

なぜ、公開したのか?大神等(たち)の廣前での御神託は、『あなたに向けた、あなただけのメッセージ』だと分かっているはずの以前からの氏子さんなのに・・。

 

私は知らなかったのです。これまでずっと、そうされていたことを。鬱っぽくいらしたこともありましたので、メモも取れないんだろうとボイスレコーダーを許してきました結果が、一言一句、ネタや笑いに変えられ続けていたとは・・。

最新のブログには、『これまでのブログは軽いノリで書いてきた。でも流れが来てる。ここから変わっていく。』etc・・。そして次回からの暴走傾向も見て取れました。この男性が記してあったように、私は精神性が低いのかもしれませんが、離れよう(離そう)と思いました。

 

伝えることを整理し電話をしました。初めは「彼女、そんなこと言いましたか!」と笑っていた男性でしたが、私が全てを申し上げた上で「縁を解かせて頂きます。」というと、「僕が浅はかだった。(私が)立腹するのは分かるけど、もう相談も行けないのでしょうか。」と涙声で言われました。「縁を解くのだから、そういうことですね。人としての道理も弁えない人間が神のことなど出来ませんよ。私を通して大神等に教えを請うことで、私のお墨付きなんて思われたら非常に困ります。私は怒っているのではないのです。むしろ、私こそ裏切られたことが残念で仕方ないのですよ。ホームページを開設したと報告した時、非常識な人を淘汰するためだと言いましたよね?まさか、あなたがその対象に入っていたなんて・・。よく聞いてください。今、私からのこの電話は、“次から気を付けてください”という電話じゃなくて、もう“縁を解きます”という電話なのです。失礼します。」と電話を切りました。

 

実はこの前の夜から、家の中の空気がこれまでに感じたことのないくらい荒れていました。いつもは冷静な高校生の娘(この子は高い霊感を持っています。)が得も言われぬ威圧に恐怖で泣き出してしまうほどでした。そして、迎えた次の日に起こったこの一連の出来事だったのです。

 

二人の出会いは波長が引き寄せたのでしょう。波長は身体を通して波動となり、言動に表出します。そして、類は友を呼ぶのです。

 

結局は二人とも自己高揚動機を満たすためでしかないレベルの、自己陶酔をしていました。そして、自己陶酔をするために上手に変な勘違いもしていました。現況まで御神託を都合よく解釈し続けてきたのでしょう。男性の方は人のプライベートを軽々しく洩らす時点で道理すら守れない。女性の方は、今後リーディングをするならば『言葉を知れ、スキルをあげよ、そして清潔にしろ』などと言われていました。清潔って・・。

それでも神さまは優しく「やっていくなら、本物に成れ」という言い方で諭していました。

が、礼節を欠いている者には特に厳しい(いつかしい)私は、その一時間に産婆術を使って女性と話をしていました。

 

ここで申し上げておきますが、皆さんの具体的にご紹介している事例は、『神職のお便り』に載せても良いかのお断りを本人にしています。

しかし、今回の出来事は私にとって事故のようなものでした。事故のことを自分の家族や仲間に聞いてもらう時、トラブった相手にいちいち話してよいかの了解を得ることなどしないという前提で、今回は私のフィールドにのみということで挙げています。きっと、二人がこれを見たら驚くでしょう。しかし、これをもって男性には、私が怒りの気持ちよりも、本当に残念な気持ちであったこと、今後相談さえ出来ないとなり、ショックかもしれないけど、あなただけでなく私も同じようにショックだったということを理解して欲しいと願い、また女性にはその道を行くのなら、すがってくる人を路頭に迷わせないように、不快にさせないように、言葉使いに気を付けて、感性を磨き、知識と教養を身に付けて、清潔観念を足らしめ精進して欲しいと願っていることを受け止めて欲しいです。

最初は私をファンキーなどと揶揄していたようでしたが、帰る頃には「三ヶ月後くらいにまた視てもらいたい。自分がちゃんと出来ているかどうか。」と言われ、本水晶も購入して行かれました。一時間のうち、前半の彼女には嫌悪感たっぷりでしたが、後半の彼女には出来る限りで力になりたいと思える私がいました。くれぐれも正しく進んで行って欲しいと願うばかりです。

 

今回の二人に限った訳ではないのですが、簡単にそういうことをしている人たちやしようとしている人たちがいるということです。ニュースなどで見聞する“自称霊能者”による詐欺やわいせつな事件、また私のところへも不当に大金を請求されたり、不要な仏像を買わされたり、因縁とか水子とか生霊とか言われて脅かされ、しなくていい供養を高額でさせられた方が絶えません。また、とんちんかんに投げかけられる言葉に、せっかく救いを求めて行かれたはずが、反対に貶められ自暴自棄になったり、心を閉ざしたり、希望を打ち消させることだって起こっているのです。

こんな程度で祀り事をする人間がいるから、あんなことが起こるのだってことを、大神さまは世のスピリチュアル事情も兼ねて、私に見せたかったのだと思います。

 

私は心から思います。

占いも神事も試験があるべきだと。

単なる霊感などではなく、人としてのコミュニケーション力も含めて。そもそも、霊感だって私からすれば、人によっては主観と同じような感覚で視ている人もいます。ある者は音が聞こえたと言い、ある者は黒い影が視えたという。絵画の鑑賞と同じで、豪快な絵だと称賛する者がいれば、荒い絵だねと嘲罵する者がいる。つまり、その人の感性の程度が決めるのです。

 

病院や医者を選ぶように、霊的世界に従事する人も見極めてください。あるいは、『なんか』という、違和感に気付いたら縁を解くことです。その時、怖がらせるようなことを言われたりもするかもしれません。毎月供養が必要とか、高額なお祓いを強要されることに違和感を感じながら、そのままにしておくことは不安で勇気が要るかもしれません。そんな時は、セカンドオピニオンのように日向高千穂神道へお運びください。私が、正しくお伝え出来ると思います。

 

良くも悪くもどれだけ経験豊富か体験して来たか。遊びも学びも。それはどちらかというと、壮絶だったか涙を流してきたか、そんなことの方が多くあった方がいい気がします。また、私が知る限りでもそんな人生を歩んでる人が、正しく神の道を取らされています。

『人を助けるためには、自分の幸せはないよ。』『生きていくだけで修業。』と言われ続けて今も生きている私は、もしこの道に試験があるならば必ずやA判定を頂ける自信があります。

 

なぜ、『人の為になりたい。人の役に立ちたい。』と言って、占いや神事をしたいのだろうと不思議でなりません。

そんなに世の為に尽くしたいのなら、広域的な見地からも医者などを目指して勉強して頂きたい。看護師や保育士、介護福祉士・・現実的に人手が枯渇している分野はたくさんあります。望んでいる人が、私よりもっと勉強する時間も労力もあるような人たちばかりで、若干苛立ちます。

あるいは、募金してますか?ボランティア活動は?

占いや神事は、試験などがないから簡単に出来ると思っているのでしょうね。

頭脳明晰な方もたくさんおいでになりますよ?対等に話せますか?

 

私が皆さんと話をする時には先ず、御神託を軸にお伝えしています。そしてその後、私の言葉で話をするのですが、その時、私の修めてきた学びからの知識を存分に用いたり、例え話を幾つもします。それも種明かしをすると手法であり、また他にも産婆術だけでなく、バイステックの七原則を基に、危機介入アプローチ、クライマックス法、アンチクライマックス法、etc・・。

さり気なくそんな専門的方法も駆使しながら、皆さんと大神等(たち)との仲執持ちをしているのです。

 

日向高千穂神道の大御前には、大学の名誉教授も代議士も皇族由縁の方も、そして何故かドクターが多数おいでになられます。

全国の精神科医がカリスマと崇める高名なドクターにも患者さんを通して、「金城先生は何と言ったね?その通りだよ。」と信頼されています。私から、病名も患者さんへの応対の仕方も先生と全て同じ事を伝えているようです。先日、先生にお会いした時も「薬が出せないだけで、医者と変わらんね。」と笑顔で仰って頂きました。(※本人にもまたご家族さまにも、受け入れがたい病名等は特に、権威ある医者から伝えるべきなので、私は必ず受診を勧めています。)

 

本当に神仏の世界を知っている者は、その重さに挙手なんて出来ないものです。

時に、離婚を勧めたり、会社を手放させたり、命の現実を伝えたり、そんな立場です。伝え方を間違うと、救われたいとお運びになられた方を、帰りは希望を失わさせ自死に追い込むかもしれないのです。

 

これまでたくさんの人を視てきて、自分から希望する人にろくな人はいません。

「視えるんです。」「聞こえるんです。」「話せるんです。」「夢で見ます。」etc・・。

そんなことを言う人に限って、「他人に資する前に、自分の親を大切にしなされ。」と大神さまに言われている始末です。

 

そもそも、なりたくてなれません。

私も含め、正しく奉務している立場の者は、こうなることを考えてもいなかった人達ばかりです。

今でも私は夜中ひとり神殿に入り、『こんな立派な神殿構えて偉そうに、いつからこうなったけ?』と宮を見上げています(笑)

 

 

今回、大神等(たち)の示唆、目論見を待っていたかのように、顕在化しつつある今、現在進行形で矢継ぎ早に『世のレベルを見せられる』経験を与えられ、気持ちがついて行かないところですが、私なりに悟ったことがあります。

               

  一、人間関係にも断捨離は必要であること。

 

  一、人間関係の断捨離は相手から離れる形で起こること。

(勿論、自分から見限りを付けて相手との縁を解くこともあります。)

 

上記を踏まえた上で、今、私は不条理に苛まれているけれど、殊、今回のホームページ絡みの出来事に於いては“この指止まれ”を掲げた上で“去る者は追わず、来る者は拒まず”を此れからの姿勢と変えさせて頂いてる訳だから、不毛に虚無感を感じるのではなく、いやがうえにも倦まず弛まず背筋を正さむことのみに徹していくことが肝要だと読解し、併せてまだ儚いこの主軸を丁寧で聡明に後ろ盾くださる前回ご紹介の男性のようなお方から手向けられる美しい(うましい)言葉等(たち)に指標を見出して行く決意を新たにしているところです。

 

さて、少し現実的に先を見据える覚悟が用意出来た私は、放課後補習を頑張る娘を学校に迎えに行ったその車内で、

「皆さんからファンレターも届くしね、“楽しみが増えました。”なんて言っても頂いてね、『神職のお便り』が好評なんだよ。見てる?」

と、聞くと

「いや・・。」

と、素っ気ない返事。

「そうかぁ・・。まっ、いくら何でも、親が書いてるのって、やっぱ恥ずかしいもんねぇ。」

と、多感な時期の娘に、私なりに気遣って口にすると、

「え・・・。時間がもったいない。」

ガーン‼‼

そ、そっち⁉

大神さまぁ、大好きな娘とは断捨離されないですよね~⁇