2021年01月25日

勉強するだけで

「お便り、拝読しました。大丈夫だろうとは思っていましたが、改めて保育士合格おめでとうございます。」
と、氏子の皆さん方の温かいお言葉をたくさん頂戴しつつ、今現在、保育士証の登録手続きを行っているところです。これをしなければ、国家試験に合格していても“保育士”と名乗ることが出来ないと、国家資格になってからこの辺りも法整備されたのですね。

 

「それにしても、すごすぎます!毎年の保育士国家試験合格率10%台でさえ、科目の合格を数回に分けた人の割合ですから!一回で合格なんて、3%ほどしかいないらしいですよ!私たちも挑戦したことがありますが、とてもとても…。その難易度は熟知しています。」
大神さまの廣前で、教員を生業になさるたくさんの先生方が異口同音にそのように話されました。

 

「恐れ入ります。しかし、勉強するだけでなりたい自分になれるって、すごく画期的じゃないですか?人にお金を積んで、お願いするわけでもないんですよ。そんなことしたって、やってもらえないかもしれない。でも、こうやって自分で“勉強するだけで、夢を叶えられる”ってすごくないですか!?」
と、まるで特許製品でも発明したかのように私は、高揚して言っていました。

 

実際、“たった数ヶ月真面目に勉強したら、いつの間にか保育士になっていた。”と、いう感覚です(笑)

 

これまで、高校受験に始まり、様々な試験に臨んできた私ですが、『受験』の何が大変かって、学習内容が難しいとか、勉強が大変ということより、試験の日までの孤独な戦いに挑み続けられるのかってところではないのかと、私は思っています。

 

なぜなら、受験は“自分自身のこと”であり、仮に頓挫しても他人にもろに迷惑が掛かりません。一人で“まっ、しょうがないか。”として、人知れず終われます。だから、初志貫徹を孤高に続けて行くこと、つまりモチベーションを保ち続けることが、実は最も困難なことだと思っているのです。

 

それが出来るためには、“どんどん頭に入り始める時期を早く迎える”こと。そして、“演習で正解が増えていく喜びが始まる”ことでしょうね。
そうすると、『これだけ出来始めているから、受験しないなんて勿体ない。そして受験するなら、合格したい。また、ぎりぎり合格ではなく、余裕なる力を付けて安心して挑みたい。』と自分を受験仕様に次々、カスタマイズしていけるのです。

 

共通テストを受験した高校生に続き、高校受験の中学生たちも、いよいよ私立高校の試験が始まりますね。そして、まだまだ鹿児島県は、県立高校の受験が第一希望という生徒さんたちが、また大勢でしょう。私が家庭教師や、塾の講師をしていた時、この1月・2月でものすごく学力が伸びる子どもたちがたくさんいました。受験日が近づき、カウントダウンが具体的に感じられる頃には、受験仕様に心身がカスタマイズされていたということでしょう。

 

ここで、寓話を簡単にひとつ紹介します。
ある新米の木こりが、一日に木を18本も伐って、親方にとても褒めてもらったのです。気を良くした新米の木こりは、もっと褒めてもらおうと、翌日早起きして木を伐りましたが、15本しか伐れませんでした。その次の日は12本、またその次の日は9本。なんと、初日の半分にまでなってしまったのです。
「疲れているのかもしれません。」
そう言って悩む新米木こりに、親方は静かにこう言いました。
「斧を研いでいるのか。」

 

自分になぞらえて、何かを感じましたでしょうか?

 

これより、医療・福祉系の国家試験も目白押しですね!
受験生のみなさん、頑張りましょう!
そして、親御さまには、子どもに頑張ってもらいたいなら、“親も頑張れ”と大神さまは云われます。
「勉強しろ!」と言いながら、自分はビール片手にテレビを観ているのは違うぞと。

 

しかし、私のように知的好奇心が大きいと、資格試験の本を見ている側から、
「取ろうとすんな。」
と、ドライな娘に言われますよ(笑)

 

写真は、南さつま市加世田の笠沙の宮跡地。
瓊瓊杵尊さまご一家が、暮らしておられたことより、日本発祥の地となっています。
私は、神社よりもここが好きで事あるごとに足を運びます。私に瓊瓊杵尊さまが降りておられるからでしょうか。“帰りたくなる”場所です。