2021年03月18日

令和二年度の終わりに寄せて

春は、合格発表、入園・入学式などおめでたい季節であると同時に、卒業式・別れ、転勤・移動・左遷などという、悲しみの時期でもあります。
霊的に敏感な方は、このどちらかの波動に翻弄されるようです。

 

大神さまからの御神託で、神殿にお運びになられる方の相談に、
「この時期ならではの世の中の波動そのものが、そなたのメンタルに深く影響を与えています。因って、鬱ではない。今、逆に病院に行けば、鬱と誤診されてしまい、医者のその言葉から“自分は鬱なんだ”と思い込み、処方された(本当は身体に不要な)薬で薬漬けになって、更なる二次障害を起こしかねん。」
と言われる方がおられます。

 

さて、我が家も頼りになる息子が大学進学へ伴い、引っ越しをすることになっています。

 

「あーぁ、お兄ちゃんがいなくなったら、淋しいより困るなぁ。」
と言うと、
「なんだそれ!」
と、吹き出す息子。
「だってさ、ゴミ捨てやモップ掛け、洗濯物、そして”見えない家事“って言われる洗剤やシャンプーの補充なんかもいろいろ、さりげなくしてくれてたじゃん。特に、学校推薦で合格戴いてからは、ほぼ自由登校だったから殆ど家にいて、お母さんと一緒に買い物行って荷物持ちもしてくれたしね。妹の面倒だって更にガッツリ見てもらってたから、いなくなるのがなんか怖いんだよねぇ…。今から頼らずに、もう既にお兄ちゃんがいないつもりでやらなきゃね。だからそこにいても、もうお母さんは無視する!」
と言うと、
「無視??なんでそうなるのよ、ひどっ!」
と、笑われてしまいました。

 

確かに!言葉の仕事をしているのに、言葉のチョイスを間違えた!不安を払拭するための決意のつもりでしたが(笑)
あと、実は息子に突っ込ませる算段もありました。
コミュニケーションを図るのに、これまでこうして日常の会話の中で私なりに関わって来ました。

 

「じゃあ、今日からどうする?(妹の名前)、お風呂、入れなくていいの?」
と、お兄ちゃん。
「はぁ?まだ、あんたそこにいるんだから、手伝ってよね!」
と、数分後には形勢逆転、いつの間にか鬼母の私が戻っていました(笑)

 

そんなこんなで、いよいよ引っ越し準備に取り掛かる時期を迎えました。

 

初めの一年は入寮することになっていますので、不動産、電気・水道など諸々の手続きは特別なくて、少し楽です。
しかし、寮を実際見てみないと、あれが足らない、これがない、となるのは目に見えています。(身体は大きくなっていても、社会経験の少ない子どもには、予測すら無理なこともまだ沢山あります。)荷物を搬入する三日間のみ、本人以外も寮に立ち入ることを許されるため、その時にほぼほぼ完璧に準備してやらなければなりません。そして、後々、何か息子に尋ねられた時、アドバイスしやすいように、中の造りや備品を写メして来ないと…と思っています。(男の子っていうのは多くを語りませんから、こちらが把握し易くするためですね。)

 

寮に入れるということは、そういうことなのに『後にも先にも、中に入れるのはその時だけってことは、お兄ちゃんに家族で会いに行っても、みんなでホテルに泊まることになるのか…。うちは大所帯だから、二泊もすればひと月のファミリー世帯の家賃分くらいになるなぁ。ということは、マンションを借りてもよかったかな。』と少し考えました。

 

でも私自身(30年前ですが)、この女子寮の方で寮長もし、他人と協同することを学びましたから、よい経験になるとまた考え直しました。世の中、『銭・金に代えられないもの』がありますものね。経験や体験はその一つです。

 

こちらから持ちゆく物は送るとして、向こうでも調達できるものは購入することにしていますが、
「お兄ちゃん、背中かくやつ、持って行かないと!あの、柄が伸びるタイプの物はなかなかないよ。」
と言い、他の荷物と同梱しようとしていると、
「(手が)届くから、要らないよ。」
と言われました。

 

『そうか、五十肩の私とは違うんだな、このやろ。』

 

そう思いながら、損じのないように作業を進めているところです。
先日、先輩ママとも話しましたが、
「親はこれまでを振り返るけど、子どもは先を見ていますもんね~。」
本当にそうです。
荷造りしながら、『もっと、たくさんお弁当作ってやればよかったな。』から始まり、『もっと、いっぱい抱っこしとけばよかった。』など乳幼児期にまで回想は逆行し、ちょっとウルウル…。

 

末娘は、16歳離れたお兄ちゃんが大好きで、先日、自分の二歳のバースデーソングを、
「happy birthday にぃに~♪」
と歌っていました。
また、私と一緒に寝るのですが、朝目覚めると、真っ先にお兄ちゃんの部屋に走って行きます。
リビングにいないと、
「にぃに~、おいで~!」
と階段下から呼んでいます。

 

あー、先が思いやられるな。なんて言って分からせようか…。

 

しかし、私も負けてはいられません。
これまで、必死で子育てに奉務に激進して参りました。もちろん、それは今からも不変ですが、少しだけ人生のこの辺りで一時期ウエイトを替えて過ごしてみたいと思っています。

 

いつか目を閉じる時、『あれもしたかったな。これもしとけばよかった。』なんて執着から、未成仏霊になりたくはありません。
『あれもやったし、これも挑戦した。やり尽くした!よし、死んでみよう!そして、大好きなばっぱん(祖母)に会うぞ~!』と、前向きに死にたいと思っています。

 

その為に、(『神職のお便り』の更新も心待ちにしてくださっている)氏子の皆さまには少しご不便をお掛けしますが、御予約もどうぞ限りなく対応致しますので、大神さまを頼られたい時は遠慮なくお申し付けください。(時間外対応にはなります。)

 

令和二年度も終わろうとしていますね。
この年で、学びごとに挑戦するのは容易くはありません。
覚えは悪いは、かと言って忘れるのも早い。
笑えません。
受験は意外と、何よりも精神力を要し、さながらアスリートの如しです。

 

「うーーーーーん!覚えられーーーーーーん!!」
四苦八苦する私を、聡い真名子たちがにやにやしながら見ている時、こんな風に言ってやります。

 

「年取るってのは、細胞が老けることであって、魂が老いることじゃないんだよ。同時に若いってことは、細胞が若いんであって、魂が光ることじゃないのよ。」

 

この名言について、「おっ!これは!!」とお気づきになられた氏子さま方、ニヤニヤしてください(笑)