2021年08月26日

亡き家族から

その日、夜勤明けにも関わらず、看護師を生業(なりわい)とする女性の氏子さん(Mさん)が、時間外予約でご参拝においででした。
長年の日向高千穂神道の氏子さまですが、いつも決まって最初のひと言目はあの時の感謝からお伝えくださいます。

 

「あの時、神さまと先生から、看護師になれと導かれたからこそ、今があります。本当によかった。感謝しています。」
「Mさんは、本当に感心ですよね。もうずいぶん前のことですのに、いつまでも感謝なさってくださって。でも、そうですよね、それが本当です。私も同じ気質の人間ですから、その想いを共有できます。私たちにとっては、感謝はずーっと感謝なんですよね。けれども、その時だけの“喉元過ぎれば‥”の人間が最近は多すぎて、いつまでも感謝している方が重ねて想察を求めているようで、バツが悪い雰囲気になったりなんかして、おかしな世の中になりましたよね‥。ところで、あの御神託からどれくらい経ちましたかね?」
「はい、もう11年目になります。」

 

私もその時の御神託を忘れていません。
「その男性とは、別れなされ。そなたのこの先の人生、その者のためにボランティアで終わらせるのか。看護師になりなされ。これより先の人生、大きく飛躍するぞ。」

 

確か、そのようなことを言われました。
大神さまは、別れさせ屋ではありませんから、基本は折り合いと言うか、落としどころを探り当ててくださるものですが、この時は容赦ありませんでした。先のビジョンを視せられ、見通しまで含め、このまま行けばいつか目を閉じる時、Mさんがどれだけ無念を感じるか分からないと思えた私は、ひとりで焦燥感に包まれていました。

 

なぜなら、Mさんはその時、40代後半でした。
だから、ありったけの言葉を投げ掛けたかと思います。

 

「今から看護学校に行くことを、大神さまに勧められたとしても、勇気が要ると思います。でも、結果を変えるためには同じことをしていてはいけないのです。」

 

「Mさんの人生という映画は、Mさん自身が映画監督であり、主人公であり、脚本家なのです。映画のストーリーの中に、その男性が必要ですか?その人を入れるから、おかしな台本になってしまうのです。キャスティングも自分で出来るんですよ。だって自分の人生なのだから!」

 

「同じ“悩む”にしても、どうせなら、どこの看護学校にしようかな‥とか、“プラスの悩み”にしませんか?」

 

「頭で考えるのはもう終わりです。後は、行動を起こさないと解決できない悩みです。世の中の悩みの殆どは、頭で解決なんて出来ません。考えたら行動を起こし、そこでつまづいたら、その時また考えればいいのです。」

 

矢継ぎ早に、これらのことをお伝えした(大神さまに言わされた)ことを覚えています。

 

「さて、今日は、どうなさいましたか?」

 

「はい。実は、三日ほど前、夜中二時少し前でした。亡き父の『M!!!!』という、怒鳴り声がして、私は『はい!!』と言って目を覚ましたのです。単なる夢ではなかったと思います。確かに、父の声がしました。でも、不思議なのです。父は生前、私を呼ぶ時は『Mさん』と優しく呼んでいました。あんな荒げた声で、しかも呼び捨てでなんて呼ばれたことは一度もありませんでした。お盆も近いし、何か父にあったのでしょうか?それとも、父ではなかったのでしょうか?」

 

「分かりました。では、それからお聞きしてみましょうね。」

 

神殿に向き直し、大祓詞を奏上すると、自分の声が清々しく響きました。

 

祝詞は、和讃のように抑揚が決まってはいません。だから、私の場合、自然に出て来たトーンに始まり、任せています。いつも一定ではないと自分では感じており、それは大神さまに向き合う氏子の皆さんの波動によるのだということもまた分かっています。
猜疑心なく、素直に心を開示し、大神さまに委ねてくださるMさんのような氏子さんならば、私は自分の声がこんなにも美声であったかと調子づいて奉務を開始出来るのです。
高尚な氏子の皆さま方、どうぞひとつお膳立てのご協力を(笑)

 

ところで、大神さまの託宣は、唐突で手短かでした。

 

「無呼吸症候群じゃな。」

 

それだけをポーンと言われました。
だから、それ以降の大神さまが言わんとすることは、私が続けることにしました。

 

「Mさんは、無呼吸症候群があるのですか?お父さまは、それについては知っておられたようですが、その時あまりにも長くMさんの息が止まったままの状態が続いていたので心配をし、『大丈夫か?長すぎやせんか?こら危なか!起こさんなならん。』と思い、「M!!!!」と、必死に怒鳴り叫び、Mさんを起こしたみたいですよ。」

 

そう言うと、Mさんが続きました。

 

「はい。私は無呼吸症候群です。ここ10年くらい、いつも寝る時はCPAPを付けるようにしていますが、疲れ切ってそのまま寝てしまうこともたまにはあります。そう言えば、その時、付けていなかったかもしれません。」

 

「そうでしょう。すごいですね。故人はこうしてちゃんと、見守ってくださっているのですよ。私は、Mさんとは10年以上の御縁ですが、これまで神殿にお運び戴く中で、無呼吸症候群のことなど、聞いたこともなければ知りもしなかったですもの。親ってありがたいですね。」
そうお伝えした時、続いて亡きお父さんから映像を視せられました。
「Mさん、お父さんがみんなでそうめんを食べようと言っておられます。お盆も来ることだし、家族でそうめんを囲んでください。お父さんの席も準備して。」

 

「はい。分かりました。」
そう言って、涙をお拭きになり、お帰りになられました。

 

夕方、Mさんより、メールが届きました。
「先生、今日はありがとうございました。それが、なんと帰ったら、お昼ごはんとして母がそうめんを用意していました!」

 

「間違いなく、お父さんのリクエストですね!」

 

私は、これまでの御相談事にまつわることで、故人との食べ物に関して不思議なエピソードをたくさん抱えています。
いつか、またお便りにご紹介しますが、この日Mさんにもそれらを幾つかお話し、温かい気持ちと霊媒としての喜びに満たされて、私は電話を切りました。

 

写真は、とあるトイレでの一枚です。
探求心豊かな二歳児には、何でもチャレンジしてもらって結構なのですが、これはいたいけない。なんで、こういうトイレって、子どもの手の届くところに鍵があるのでしょうか!
私はこの時も開けられないように、短い足をつりそうになりながらも、必死で伸ばし、ドアをつま先で押さえ、(もはや、便座に直角に座り)もう何が出たのかも分からない時間を経て、(はしたなくて、ごめんなさい。)ヘロヘロになりながら、買い物に戻るのでした。
そして、当然、いつものように必要なものを買い忘れ、余計なものをたくさん買わされていることに気付かないまま、帰路に着くのでした(笑)