2021年08月31日

事実は小説より奇なり

初めて来談にみえた50代の女性Hさんは、関づらふ諸人等(もろびとたち)から、元気をもらえると言われる程の明るい笑顔と笑い声の持ち主でした。

 

しかし、大神さまと私の前で打ち明けられた、その余りにも浮世離れした半生に息を飲むことになります。

 

相談の記入用紙には、“亡くなった両親への供養”とシンプルに書いてありましたが、私の長年の勘でしょう。『これは単純に、儀式的なことをお教えするレベルじゃない』と思ったのです。

 

「どうぞ、お話してください。」
私の声掛けから始まりました。

 

「私は、〇県〇市で生後三か月の頃、四畳半の部屋でひとり泣いていたところを、様子がおかしいと見に来てくれた近隣の方によって助けられ、生き残りました。両親は、一酸化炭素中毒で亡くなっていたそうです。当時、テレビや新聞、ラジオなどでニュースにもなりましたが、それを見たある子どものいなかった夫婦が、裁判をしてまで私を引き取り、養女として迎えてくれました。本当は、生みの母の方に祖母がいたようなのですが、そんな出生の子は要らんと言われて、養育を拒否したようです。…私は、…私の両親は、所謂正しい関係ではなかったから。」

 

「そうでしたか。それは大変なことでしたね…。では、今回はその生みの両親について、お訊ねでしょうか?」

 

「いえ、養父母についてです。養父母は、私が10歳の頃に離婚してしまいました。その後、私は養母と暮らしました。そしてもう、どちらも他界しました。私は、ひとりぼっちです。これまでもこれからも、なんであの時、私だけ生き残ったんだろうって、こんな思いをして生き続けるなら一緒に死ねればよかったのに…って。」

 

「では、養父母のお名前を教えてください。」
と聞き、私は養父母の名をS姓…と、メモしました。

 

同時にHさんが、養父母と姓が違うことに気付いた私は、
「Hさんは、先程ひとりぼっちと言われたけど、ご結婚をなさったのですね?養父母とは、姓が異なるから。」
と伺いました。

 

「はい。結婚して、五人、子どももいます。」

 

「そうですか。それでも、孤独感が消えないのですね。じゃあ、独身ではなくご結婚なさっているわけですから、今のご主人の姓でHさんなのですね。」

 

「いいえ。実はこのH姓は、私の生みの母親の姓です。因みに、生みの父の姓はMです。」

 

「………?出会ったご主人が、たまたま生みの母親と同じ姓だったということではなくて⁇Hさんは、養父母のところに籍も移り、養女になっていたのですよね?なのに、このH姓は、生みの母の戸籍からとは、どういうことなのですか⁇」

 

これまで沢山の御相談に触れていても、登場人物を把握する時に名前をお聞きすると、同姓の方が出て来たりして、私でも混乱する時があります。

でも大抵は、たまたま同姓であったり、離婚して旧姓に戻ったり、反対に新戸籍を作ったりが理由ですから、直ぐに理解・整理出来るのですが…。

 

確かに来談者の中には、話が纏まらない方、論点がズレている方という人はおられます。
でも、ほとんどのケースは、この道百戦錬磨の私には想定内の範囲ですから、こちらで要点をまとめたり、さり気なく本当にお訊ねすべき内容へ変えさせてもらったりもしています。

 

しかし、Hさんの複雑な人生は、彼女自身が語るにも上手く伝えられない程、複雑なものでした。
そしてまた、敢えてクールに考察すると、内容が内容ですから誰にも言えず、胸の奥に封印して来たことで、言葉に変換することや文章に起こすことも、おそらく初めてに近かったが故でしょう。

 

的を射ない言い回しは、それらの事由により要領を得ないだけであり、Hさんは決して言葉足らずでも、ましてや私に心の開示を拒否していたわけでもなかったのです。

 

人間の脳は、生命を穏ひに保つため、衝撃的な場面を忘れようとする働きがあるといいます。
大概は、喪失や解離するまでには至らず、トラウマやフラッシュバックとして温存されるに留まりますが。
一方また、実際起こった出来事を詳細に覚えていなくても、その時にどんな思いをしたかという“自分の感情”は残っていくものです。

 

実際、日向高千穂神道の氏子さまの中にも、それで苦しんでいる方が多数いらっしゃいます。いっそのこと、その人にとって辛い記憶なら、綺麗に消滅すればいいのにと思いますよね。
でも、実はそれがあることは大事なのです。
“また同じ経験をしないための警告・お知らせ・戒め”だと思えば、なんだかちょっぴり有難いなとも思えるところもありますでしょう。

 

そんな状態のHさんの情報を正しく収集するために、私は誘導しながらお話を引き出し続けました。
そして、散りばめられた事実をパズルのように組み合わせ、完成させたところを要約すると、

 

◎因縁とは不思議なもので、生みの母がそうであったように、Hさんもよこしまな愛を貫く人生になった。
◎だから、Hさんの出生の事情を知る養母は、その男性について反対だった。
◎Hさんは勘当され、養父母のS姓から除籍となった。
◎必然的にHさんは、亡き生みの母親の元、Hへと籍が戻った。
◎その後、今の夫と婚姻した際、夫が姓を変更したことで、現在Hを名乗っている。

 

ということでした。

 

実は冒頭の会話のやりとりも、御精読くださる氏子さまの為に、私がこのお便りに載せられるような表現に変換していたり、要約をしています。
勿論、内容はそのままですが、こんなに軽快に把握出来たわけではありませんでした。

 

だから実際は御神託を戴く為、もうここまでで充分だと思う情報量を得るまでには、かなりの時間を要しました。

 

私は、到底三つにも絞ることも出来ない、この複雑なお訊ね事の内容を余すことの無いようにさらえながら、また残り時間も頭に入れつつ、神殿に向き合いました。

 

以下、御神託です。

 

「養母は、男前の気質じゃったな。そなたを引き取ろうと決めたのも養母。『この子の人生を背負う為、私には子どもが授からなかったのだ』と口にし、潔く縁組を名乗り出たようじゃ。筋を通す人間でな、礼儀や恩、感謝などには厳しかった。余り物言わぬ養父と離婚後、そなたをひとりで養育した。それだけの覚悟で生きて来た分、余計にその相手を許せなかったのじゃ。だから、大事なそなたに『縁を切る』とまで口にした。なぜなら、生みの母がそのような道にあったことで、そなたの人生がこうあったわけだからな。それをいちばんよく知る養母は、さぞかし無念な思いであったであろう。複雑で心苦しい中での勘当であったはず。
生後三ヶ月…、そなたはひとり生き残り、人は『命があってよかったね。』『恵まれたね。』と声掛けしたであろう。状況だけ見ればな…。しかし、そなたの思いは、飛行機事故・脱線事故、また自然災害などで、自分だけ生き残った人たちと同じじゃな。命があったことは良いことであるはずなのに、罪悪感しかない。けれどもな、そなたはどうあっても『生きる』『生き延びる』『生かされる』人間なんじゃ。今回、両親の不慮の事故においても、そなたは生き延びた。これより先、仮に事故・災難があっても、そなたは生かされるぞ。例え、飛行機が墜落しても、川が氾濫してもな。それは、そなたに“生きる力の強さ”が備わっているからじゃ。現に、そなたは五人の宝に恵まれて、立派な子孫繁栄ではないか。しかも、そなたのH姓に夫が入ってくれてということではないか。Hの先祖たちにしてみれば、亡き生みの母の死亡から一転、大きく家は栄えたと言えよう。全ては、そなたの“生きる力”に起因しておるのじゃ。
実はな、養母がそなたを勘当したのには別の意味がある。まぁ、さすがに、養母はそこまで考えてのことではないがな。いいか、そなたは勘当されたことで、生みの母の籍に戻ることになったな。養母は、それまでそなたをきちんと養育し、役目を果たしてきた。そして、こうしてそなたが伴侶を得たいと、自立出来るまでに成長した段階で、役目を降りたんじゃ。“縁を切る”と言うことは、言い換えれば自分の身を引き、そなたを実の母の元へ戻してあげたことになったのじゃ。分かるか?このことを、養母はたましいレベルで、気付いておったのかもしれんな。
あの時、近隣の人が助けてくれたこと、また、養父母が後に離婚をするような夫婦だったとしても、その時は夫婦が揃っていたからこそ養子縁組が可能であったことも、そなたが“生きていくべき人間”だからなのじゃ。
八千代…、そなたの名、奥ゆかしくありながら、古風な芯の強さを持ち合わせておる。この名がそなたに命名されたことは、偶然ではない。日本の国歌の意味を知っておるか。正に、そなたが“生きる”人間であるということを、国歌から知れるのじゃ。」

 

なんということでしょう…。
ここまで、御神託を伝え、私は大神さまの叡智にまたしても感服しました。

 

養母のことをぴしゃりと言い当てたり、縁切りのもう一つの意味を知らしめたりと、御神託の内容にも勿論、感動したのですが、最後の国歌のくだりにおいては、口を開きながら鳥肌が立っていました。

 

実は私、オリンピックに寄せて、国歌のことをお便りに上げようかと、ずっと前から考えていたのです。
しかし、他にもネタには困りませんし、それを御存じの氏子さんにはつまらないだろうから、いつかそのうちでいいかなと後回しにしていました。

 

だから、ここでこういう風に絡めさせられ、大神さまに導かれるなんて、思ってもいませんでした。

 

やっぱり、国歌について書くべきだったんだな、ということと、お便りは間違いなく大神さまに書かされているんだなと言うことを改めて知り得ました。

 

今回、相談の内容も凄ければ、御神託も壮大だなぁ、と興奮しながら、
「Hさん、国歌の歌詞の意味を御存じですか?ほら、見てください。私の手帳です。走り書きで乱字ゆえ見にくいのですが、お便りにしようと書き留めていたのです。それまで関係して、託宣になるとは思ってもみなかった!」
と言って手帳を見てもらいました。

 

私もそうでしたが、Hさんもまた、国歌にまで話が及ぶなんて考えてもいませんでしたから、ここで簡単に説明をさせてもらいました。

 

〇君が代は→君(キミ)は、イザナキ命とイザナミ命の名から。男性を表す“キ”と、女性を表す“ミ”で、“キミ”と合わせて、“愛し尊敬する人”の時代

 

〇千代に八千代に→千年も、幾千年も永久の繁栄を祈念

 

〇さざれ石の巌となりて→さざれ石は、細かな石が長い年月を掛けて大きな岩となったもの。石のひとつひとつは小さいけれど、団結したら大きな岩のような力になる。男女の結束や、子孫、親戚、全ての人々が協力し合うことを象徴

 

〇苔のむすまで→苔は古いものは絶え、新しいものの養分となりながら、広がっていくことから、子孫繁栄を表す。また、“むす”は“生す”とも書き、子を養い育むこと

 

つまり、日本の国歌の歌詞は、
『愛し尊敬する人の時代、千年もさらに幾千年も全ての人々が団結し、協力し合い、子孫繁栄を願う』
という意味なのです。
軍歌のような他国の国歌もある中で、日本の国歌にはこういった『祈り』が込められているのです。

 

時間の都合上、その時、Hさんには全てを細かくご説明出来かねましたが、とにかく彼女の名前が『生きるべくして命名された』のか、また『名前が生きる道を作っている』のか、どちらかに違いないですね、ということをお伝えしました。

 

御神託の間じゅう、Hさんの嗚咽が聞こえていましたが、御神託が終わると、Hさんはゆっくり話始め、しばし私との会話になりました。

 

「養母はその通りの人でした。私は幼い頃から、県外までよくお墓参りに連れて行かれていました。小学年高学年が近くなった頃、それが実の母親の墓であることや、自分の生い立ちを知らされたのです。そして、私を要らないと言った祖母も、その頃には『育ててあげればよかった』と言ったそうです。養母のおかげです。」

 

「なるほど。大神さまが、養母を“筋の通った人間”と言われたのは、そういうことですね。」

 

「ところで、亡き生みの両親はどうですか?私が、生みの両親の元で育っていたらどうだったでしょう…。母は私を守ってくれていますか?いつも守られているように感じています。」

 

私は、少し目を閉じました。
そして、自分の胸に御神託を戴き、Hさんに直接伝えました。

 

「先ず、亡き生みのお父さまですが、Hさんに関わられることが怖いようですよ。立場も立場ですし、供養なんて偉そうに言える訳なんかない、と言っています。この方の本妻は、腸煮えくり返っていたはずですが、敢えて離婚はしてやらなかったそうですね。亡き後も、憎しみからか、きちんと御供養なさっていません。でも、もう亡きお父さまは、それを望んでいません。余計、針のむしろになるだけだから、言わないのです。自分の非をこれ以上、突かれたくないので、もうほっといて欲しいようですよ。次に、亡きお母さまですが、仮に不慮の事故なくHさんを養育し続けたとしても、虐待こそないものの、子どもへの愛情は後回しだったことでしょう。この男性、つまりHさんの亡きお父さまに夢中でしたもん。だからHさんは、邪険にこそされないけれど、放置されることや構ってもらえないことが多く寂しい思いをして育ったはずです。」

 

ここまで言うと、
「あぁ、そうかもしれません。亡き両親は、駆け落ちをしてその県外にいました。母は、夜の店で働いていたそうです。そして…。私が助けられた時、その家で、両親は裸で二人、お風呂場で亡くなっていたそうですから、言われること、何となく分かります。生後三か月の赤ちゃんをひとり置いてですからね…。」
とHさんが言われました。

 

「それでですね、Hさんを守っている方のことですが、やはりお母さまではあります。でもですね、動機があまりよろしくないというか…。実は、神に言われているからなんです。守ってやれと。母親としてあるべき姿勢を教えられて、矯正されてる。勿論、しぶしぶではありません。こうやって、“人の道”というか、Hさんへの償いなどを学ばされているのでしょう。」

 

私は続けました。
「駆け落ちすることなく、祖母とお母さんが上手く話し合いをして、折り合いがつけられたらよかったのにですね。でも、祖母は歯に衣着せぬ物言いをなさる方だったようですから、お母さん、きっと話しても分かってもらえないって、決めつけていましたもんね。それからHさんは、仮に亡きお母さまに養育されていたとしても、お母さまは亡きお父さまばかりに愛を注ぎ、子どもながらにずっと寂しい思いをし続けたでしょう。そのうち、お母さまが養育しなくなり施設に丸投げされていたようなビジョンも視えていますよ。」

 

更に続けました。
「大神さまが教えてくださいます。Hさんにとって、亡きお母さまとは肉体の親子。そして、養母とはたましいの親子です。これまでも、氏子さんの中で、実の両親のことではなく、義理の父母のことや、養父母のことを聞かれる方、多くおいでですよ。それからHさんは、孤独なんかじゃありません。御主人も子どもたちもいます。大神さまも、今の瞬間、正に、『ベクトルの向きを現在から未来にUターンさせないか』と言われていますよ。いつもHさんは、現在から過去に意識が向いています。『人生上手くいく人は、常に“現在から未来のみ”を考えている』と言われますよ!Hさんの人生が私には、さっきの国歌の歌詞そのものとリンクして視えていますよ。」

 

時計の針は、時間オーバーの位置にありました。
Hさんの御予約を受けた枠は、その日の最後の枠でした。

 

私はサービス残業しましたが、彼女のこれまでの苦悩の年月が、この一時間でつぶさに浄化出来た訳ではないことを充分に承知しています。
しかし、その頃には、お顔から明るく輝く波動を受け取ることが出来ました。

 

よかった…。私がお手伝いできるのはここまでです。
後は、Hさん自身が認知を変え、想念を変えてくれることで、本当の昇華となっていくはずです。

 

大神さま方も総動員で、後方支援くださるそうですよ、Hさん。