2022年03月21日

天と地と

70代前半だと仰る女性から、御相談の予約依頼がございました。

 

現在、かなりタイトなスケジュールですから、案内を差し上げるにしても、時間外予約枠しかありません。

 

私はその時間外予約の説明をするのが苦手です。

特に、初めての方には。

 

御存じの通り、通常予約の倍額を申し受けております。

でもそれは、これまで何度も(このお便りでも)お伝えして来たように、理由があります。

 

本来なら、休みの日や時間に、私も時間を割いて応じているからです。

 

 

恐る恐る、

「ホームページにも載せてありますように、現在時間外予約しか受付出来ません。初穂料が通常予約の倍になりますよ。」

と申し上げると、

「いいんです。」

と潔い返事。

 

ここではっきり初穂料をお伝えし、言葉を添えておかなければ、後々、嫌な目に合って来たパターンが多々ありましたから、私は今回聞かれてもいないのに、自己弁護し始めました。

 

「通常予約枠ですと、1時間一万円お納めですが、時間外予約枠は倍額頂くので、二万円お納めとなりますよ。その代わり、限りなく早くにおいで頂くように、夜もしています。それでも、よろしければ承ります。」

 

そう言うと、

「はい。いいです。私は、先生のような方をずっと探して来ました。そしてやっと、ホームページに辿り着き、この先生なら間違いないと思ったのです。これまで何度も、神さま事をする人たちに騙されて来たから。」

と、言われます。

 

私は、

「恐れ入ります。では、時間外のご案内になります。よろしくお願いします。」

と、少し申し訳なく予約を頂戴しました。

 

すると、

「先生、勿論です。先生は、命とたましいを削ってなさっておられるのだから、それくらい当たり前です。本当に大変なお役目です。先生は、果物はお好きですか?地元の美味しい果物をお持ちしますね。」

 

と、涙が出る言葉を掛けてくださいました。

ありがとう存じます。

 

この方、本当に『神の道』のことを、私のキツさや大変さを分かっておられると感じました。お会い出来ること、光栄です。

 

 

実はちょうど、いろいろ思う節があり、氏子の皆さんには改めて、大神さまへの心構えや礼節を、今一度確認して頂きたいと思っていた矢先だったのです。

 

 

少し前、あまり耳にしたくないことを聞く機会がありました。

 

私の噂です。

 

「あの先生は、山形屋で勤めていて、もう今はやめたけど、上から目線ですごいらしいね。そして全く料理も全くせず、すごい人間なんでしょ。」

 

「ホームページ観た?どう思う?」

 

たまたまそれを教えてくださった方は、私の味方で深い親交がある方でしたから、

 

「別人じゃないの?お料理も上手だよ。」

 

「ホームページも凄いよねー!」

 

と、返答してくださったら相手は黙られたそうです。

 

料理も時間が無くて出来ない日はありますが、お弁当を買っても、味噌汁だけは作る、キャベツだけは切る、それも出来ない時は、ご飯をおにぎりにするなどして、何かしら手を掛けています。

 

それに、私が作る煮しめや煮付け昆布巻きなどは、特に絶品と喜んで召し上がってくださる友達や仲間、畏れ多くもドクター方もたくさんいらっしゃいます。

 

山形屋で勤めたことはありません。

国家資格を活かし、働いておりました。

 

そこも、これまでのお便りに書いてあるのに、肝心なところは見ていないんでしょうね。

 

 

「また、どうせ根幹は妬みからなんだし」

と、気にはなっていませんでしたが、本日改めて考えることがございました。

 

 

一日の奉務の時間内に、天と地の出来事が起こったのです。

 

先ず、“地”の出来事です。

 

私は、1時間の中に何回、苛立ったでしょうか。

そもそも、広前においでになるルールが分かっておらず‥。

明らかに、ホームページを読んでいない証拠です。

 

自分の相談だけでなく、子どもの相談を入れ込んでありました。

しかも、その二人で当たり前に神殿に入って来ます。

その子どもも、学生ではないのです。

三十路前の社会人です。

また相談事も、ひとつの項目に二つも書いてありました。

 

 

もう、何から正せばいいのか。

久しぶりに面食いました。

 

常識のある氏子さまは、ご予約の時に、きちんとルールを確認なさいます。

だから、促されるままにホームページにきちんと目を通し、理解されておいでになられます。

 

『相談を混ぜることは出来ません。立ち位置で御神託は違うからです。本来、自分のことは自分で予約時間を取るべきです。』と、これはもうトップページに載せてあることです。

 

そして、『神職のお便りを合わせてご覧頂くところから、ご参拝は始まるものと心得ください。』とも載せてあります。

 

 

きちんと読まれていたら、コロナ対策で神殿には星祭りでさえ、ご家族の代表においで頂くかたちを、取らざるを得なくなっていることが、容易にご理解頂けるはずなのです。

 

でも、変ですよね。

ルールに沿ってご予約をされているから、私が予約を受付ているはずなのです。

 

きっと、そこだけしか観ていなかったということなのでしょうね。

 

 

再拝に丸がしてありました。

 

以前いらしたあと、御神託通りになったからとの高評価を頂いているようでしたが、私はその氏子さんのエピソードもお顔も全く覚えていませんでした。

 

不思議なことに、大神さまが思い出させてもくれなかった。

 

そのはずです。

毎年、星祭りを受けてくださる訳でもない、こんな礼節に欠いた姿勢では、私は使い捨てであり、都合のいいように、利用されているようなものでしょうから。

 

 

困った時の神頼みレベルのご縁と、

毎年星祭りを受けてくださり、“無難に過ごせたことを大神さまのご加護のおかげと感謝”し、また何か禍事(まがごと)が生じても“これだけで済んだのは大神さまのおかげと感謝”なさる氏子さまとのご縁が同じであるはずがないのです。

 

氏子とも呼べるのでしょうか。

 

 

そんな感じですから、託宣に対しても、言葉を返せばケチをつけて来るのです。

 

自分の希望の通りの御神託やビジョンにならないかを、やっぱり聞いて来られているようでした。

 

言葉を下ろし、まだそれを説明差し上げる前に、

「じゃあ、いつですか?」

と、結果だけを直ぐに聞こうと、私の言葉を畳み掛けて来る。

 

挙句、確実にルール違反を幾つも冒しているのに、最後の最後まで件数を守らず、“自分の老後が寂しいかどうか”、“寂しくない為に、どこに住んだらいいか”など、聞いて帰ろうとされます。

その前に私は、一旦は断ったものの、一緒に来られた子どもさんのことも自ら善意でお訊ねして差し上げたのに。そこを汲んでくれるどころか、そんな姿勢。

 

 

流石に頭に来ました。

 

「寂しいかどうかは、主観的な問題であって、周りがそういっても自分が思わなければ、違うのではないですか?しかも、寂しくなる原因が、娘たちがそれぞれ結婚して、離れて暮らすことに因んでいるというなら、娘の結婚辞めさせますか?子どもは独立して出て行くのが、当たり前ですよ。私があなたの娘なら、“じゃあ、結婚辞めようか⁉”とブチ切れますよ!」

 

 

私はもう不躾の数々に限界でした。

 

きっと、今日反省なさり、後先になってはいるものの、このお便りを読まれ、神の御心に触れようとされていたら驚くでしょうね。

まぁ、読むはずなんかないでしょうが。

 

 

そして、“天”の方の氏子さま。

 

本日、高校受験の合格祈願後の願い下げにおいででした。

 

惜しくも第二志望校に進むことになった結果を受け、私は言葉を選ぼうと頭の中の語彙たちに総動員令を掛けていました。

 

『そうだ!昨日のお便り【守護霊のアシスト】の話を引き合いに出せば、誤解なく流暢に話が出来る。』

 

それに気付いた私が、言い掛けた時です。

 

そのお母さまの方から、

「今朝、この子にも言って聞かせたところです。さかなクンの話も。」

 

 

「まぁ!!そのお便りは、夜中に掲載したばかりで、まだ半日も経ってないのですよ!なのに、もう御精読くださったのですね!」

 

私は、大感激しました。

 

実は少しだけ、午前中の“地”を感じた時間の己に、嫌悪感を生じさせてもいたからです。

しかし、とんでもなく気を荒らされたのは事実。

でも、そんな人をも無条件で向き合わなければならないものなのだろうか。

 

と、葛藤の最中でしたから…。

 

 

間違ってなかったんだ。

私は、自分の求める氏子さまへの姿勢に自信を持ち直しました。

 

因みに、大神さまに因ると、彼が第二希望校に進むことは、やはり守護霊による計らいだったことが、御神託にて明確になりました。

 

こんな心あるお母さまの元で育まれた彼を、心底から応援しようと思ったからでしょうか。

私は、感極まり、涙が溢れて来ました。

 

それこそが大神さまの思いそのものだったのかもしれません。

 

 

そして、満身創痍にて本日の奉務を終え、大神さまの廣前にひとり座り、ふと携帯に届いていたメールに気付きました。

ご本人さまの了解を得て、此処に記します。

 

 

「こんにちは。

ご無沙汰しております。 ○○です。

 健康への不安はありますが、デイサービスに通いながら 自宅でもリハビリに励んでおります。

先生のお仕事の再開を心待ちにしておりましたが、

先生の休み前に、ご相談頂いたおかげでうまくいっています。

 

今急ぎ相談するほどの悩みが見当たりません。

とっても良い事なのですが先生にお会いできない事を残念に思っております。

 

神職のお便りを拝読し、今回予約ではないのですがご連絡してしまいました。

また、娘共々、今後ともよろしくお願い致します。

先生はとてもお忙しい御身、どうぞお身体ご自愛ください。」

 

 

このメールをこのタイミングで頂戴したこと、どれほど心身に沁み入りたことでしょうか。

 

この氏子さまは、かつて、あの神田橋医師にも信頼を受け共に勤(いそし)みなさった、優秀な看護師さんでいらっしゃいます。

 

義務でもないのに、御予約を入れられている訳でもないのに、こうしてお便りを御精読くださっておられるなんて、私は思ってもいませんでした。

お年は召されても、流石看護師さんです。

私は、助けて頂きました。

最大の敬意を表したいと思います。

ありがとうございました。

 

 

このところ、ホームページにしろ、この神職のお便りにしろ、容易に観られることが良くないのでは、と思い始めています。

 

難癖をつけたい人も、簡単に開けるからです。

 

だから、限られた方、言い換えると、きちんと大神さまの世界を御理解くださり、もっと言うと、大神さまの世界の話が大好きな人にのみ、私が選んでここに触れてもらうべきなのではと、考えているのです。

 

 

追伸 

忙しい私を、慮ってメールを控えてくださる氏子さま、本当にその心遣いには、感謝申し上げます。

 

でも、お便りに触れるコメントは、私の栄養源になりますから、ご遠慮なく。

 

それにしても、大神さまぁ、娘に

「お便りの更新、半端ないよ。見てる?」

と言ったら、

「は?ファンじゃねーし(笑)」

と一蹴されたのですけど…。

これは、天or地?(笑)