2022年07月14日
事実の置き換え
『うーん…。予約の段階では、信頼出来ると思って、受付したのになぁ。』
そう思いながら、私は相談開始の時間から既に5分経過している時計を見つめていました。
「電話してみよう。事故にでも遭っておられたら大変だ。」
そう思ってA子さんに連絡してみました。
すると、約束の時間を勘違いされておられたとのこと。
「気をつけておいでください。慌てずに。」
安堵し、そう伝えて、無事の到着を待ちました。
結局、開始時刻を20分程過ぎて、神殿にお見えになられたのですが、A子さんは時間に遅れた私への申し訳なさと、また時間を勘違いしていた自身のふがいなさで、その目に涙をいっぱいに溜めておりました。
『なんて美しい(うましい)方なんでしょう。』
その状(さま)を拝察すれば、そのように思わずにはいられませんでした。
ところが、いざ相談の用紙に目を落とすと、つい今しがた感極まった自分を少し、改めたくなるようなことが認めてありました。
内容を要約すると、
◎子どもの頃、母の財布から何度もお金を盗んでいた。
◎その母へ、正直に謝ることをしないまま、死別となってしまった。
◎今更ながら、日々後悔している。
というものです。
しかし、A子さんは、今まで誰にも言えなかったこの苦しい事実を、初対面の私へ正直にお話しくださっています。
勿論、“自らの心を救われたくて”なのでしょうが、私の元を頼って遠路お越しなのです。
何年の間、ひとりで胸を痛めて来たのでしょう…。
それを思うと、やっぱり、私はもう一度感極まり直し…。
ふと気が付くと、時間が迫っていたため、御神託を頂戴することにしました。
以下、大神さまの言葉です。
「その盗んだことを、盗んでいない事実に変えたらよいではないか。これから生きていく中で、“寄付”をしていくのじゃ。勿論、そなたに無理の無い範囲でな。例えば、コンビニのレジ前に募金箱があるじゃろ?被災地への募金などじゃ。他にも子どもを通じて、赤い羽根、緑の羽根、交通事故遺児などへ向けた募金活動もあろう。寄付をすることによって、母のお金は“盗んだ”のではなく、“預かった”ことになる。そして、その”預かったお金”をそなたが寄付として活かすことによって、間接的に人助けをした母が徳を積むことにもなるというわけじゃ。よかったなぁ。素晴らしいではないか。母の更なる浄化にひと役買うことになって。」
振り返ると、A子さんの目には、益々涙が溢れていました。
時間に遅れ、自責の念から流し始めた悲しい涙は、きっと感動の温かい涙に変わっていたことでしょう。
私は亡きお母さまのお人柄やその言葉をお伝えし、残りふたつの御相談の解決を済ませてからA子さんの御相談の時間を終えました。
後日、A子さんからメールを頂戴したので、掲載してお便りの結びと致します。
こんにちは、
金城先生、先日はありがとうございました。時間に遅れてしまい、途中行きながら情けなくて泣きながら行きました。
短い時間の中で、精一杯応えてくださってありがたかったです。母に聞けた思い、父への気持ち、洗いざらい伝えたことで新しいスタートをしたいと心から思えました。
早速昨日コンビニで寄付しました。人の助けにお金を使う・預かってもらったと思えたことで自分を赦すことができそうです。
追伸
金城先生や神様は母のことをほんわかしててちょっとお茶目な感じ…のような表現をされてました。最期の方の母はそんな感じではなかったので忘れていましたが、昨日はお茶目で面白かった思い出がいろいろ思い出されて幸せな気持ちになりました。実は、御相談に伺った前日が母の命日でした。しかし、そのことを初めてすっかり忘れてしまっていて落ち込んでいたのです。でもその翌日にはあのようなお話が聞けたのですから、きっと不思議なご縁だったと思います。
お忙しい中何度も送ってしまってすみません。神職のお便りを振り返って読むにつれ、先生への感謝が溢れて送らせていただきました。
そして、お便りへの掲載ですが、私も他の氏子さまのお話に力を頂いています。私の経験がお役に立てたらと嬉しいと思っています。
A子