2024年02月29日

諦観(ていかん)の境地

前二回分の『神職のお便り』をご精読いただいた氏子さま方から、たくさんの励ましや共感の意を賜りました。

 

 

どれもこれも私の心が救われるメッセージで、このような反響をいただくことになった事実を思えばあれは“良き出来事”だったのかもしれないとさえ思えています。

 

 

 

「読ませて頂きました。

怒りと呆れで興奮してます。

過去の神職のお便りを読ませて頂いた時、第三者の私でさえあまりにも非常識な方が多いのに驚きと気味悪さを感じました。

 

直接メールのやり取りをされてる先生はいかばかりかと思います。

 

自己中心な考えで先生を振り回さないでほしいです。

 

事前決済で申し込み完了できる事が多い事務的な世の中なのに先生の丁寧なお心遣いのメールにも気づけないなんて情け無いです。

 

あれ、すみません。

年甲斐もなく興奮してしまいました。

 

 

お忙しい中、返信不要でお読み捨て下さいませ。」

 

 

 

 

このメッセージをお届けくださったのは、大阪に住まいされるYさまです。

 

此度も遠路遥々、星祭りを含め霊視相談にお運びくださいました。

 

 

初めて廣前にお見えになられてからもう何年になるでしょう。

 

Yさんの大神さまへの姿勢は、その時から終始一貫なさっておられます。

 

そしてそれは取り繕ったものではなく、内面より満ち溢れているのです。

 

 

 

信じ難いでしょうがこれまでの日向高千穂神道の歩みの過程には、おいでになる回数を重ねると私やまた大神さまに対してもぞんざいな姿勢の人が数多おりましたし、神さま事をさせられるにはまだ若かった私はバウンダリーも曖昧でしたからこれでもかと辛酸を嘗めて参りました。

 

 

 

神域を預かる者として、これでは大神さまに申しわけが立たないと年を重ぬるながらにアップデートして今日があります。

 

 

そして、Yさんのような有徳者たちにも遠方からわざわざ高額な交通費や時間や労力を掛けてでも「廣前に行きたい。」とか「待合室の雰囲気に癒されたい。」などおっしゃってお越しいただいているのです。

 

 

 

日向高千穂神道の神域は、そうして一向(ひたぶる)に神仏に想いを寄せる氏子さまと私(神司・かむつかさ)の喜怒哀楽、そして揺るがぬ相互のラポールとが織りなした賜物なのです。

 

 

私が返信のメールを工夫した功奏か、或いは私の徒労感を共感くださいましてお気遣いくださる皆さまのおかげか、今は流暢な状(さま)でございます。

 

 

 

先つ禍事(まがごと)でさえ諦観(ていかん)の境地に達するために与え来しものならば、謹んで慶び拝受いたしますよ、大神さま。

 

 

 

 

2024年如月29日閏年に寄せて