2020年06月11日

バレないように

先にご紹介したように、とても大神さまの廣前に案内するには及ばない人がいる一方で、洵の心を有している方も確かにおられますことをご案内差し上げたく存じます。

 

先日、『新型コロナウイルスの終息と安鎮 並びに復興祈願祭』を執り行いました。これは、福祉に従事する30代のひとり親家庭の女性の依頼でした。

彼女は、二人の子育てをしながら自身の力のみで、土地から購入し一軒家を新築した見上げた女性です。おいそれと出来ることではございません。

だから、すべからくと言うか、いや、やはりあっぱれと言うか自分だけのことではない、世の皆のための祈願をして欲しいと言われたのです。

 

「特殊祈願として、祝詞を作ることになります。通常の祈願の初穂料に伍仟圓別途になりますが、いかがしましょうか?」とお伺いしました。

すると、少し間が空き「お願いします。」との返事でした。

 

彼女は、予てよりの大神さまとのご縁にて、そのお人柄こそ、仲執持ちである私は優に心得ておりましたが、此度は殊に、SNSで見かけるような、『自己満足の為』ではない毅然さが、電話越しにも感じ取れて参りました。

 

その瞬間から私の頭の中では、祈願祭までの日数(ひかず)が電子掲示板の如く表示されることとなりました。

何故なら、特殊祈願祝詞は新たに作成しなければならないからです。

勿論、それも仕事なのですが、お分かりのように私は日中、神殿にて皆さんの御相談事に従事し、時には時間外予約も承る中で、私生活では現在、高校生から赤ちゃんまで、四人の子育て真っ只中です。(因みに、その上の娘二人はもう成人しています。)

 

『家族が趣味』なので苦ではありませんが、やることが多いので、自分の夕食は、キッチンで作りながら食べることも多々あります。その間も、のべつ幕無しに頭はフル回転です。

 

えっと、明日は、子供の制服と自分の袴をクリーニングに出して、郵便局で霊符を送るためにレターパックを買って、その足で給油して、買い物を済ませて、忘れないように奉務の合間で粗大ゴミの収集を電話依頼して・・。そうだ、お塩を購入に来られる方の分を取り置きしておかなきゃ!おっと、明日の保育園のお手帳まだ書いてなかった!あれ?(小学生の子の)宿題、まだ目を通してないよね?明日、体操服も要るはずなのにまた準備してないな。そういえば、待合室の授与品、おみくじも補充しなきゃならなかった。あと、先日の御相談者から届いたお礼の手紙に返事を書かないと。明日、お渡し予定の注文分の霊符は揃えてあったよね。あっ、しまった‼また、赤ちゃんに薬飲ませるの忘れたぁ‼

 

高校生組の明日のお弁当の下ごしらえをしつつ、予約のメールをチェックし、同時に複数件やり取りしつつ、勿論、電話を掛けないと話が進まない人もいますしね。(一日で、溜まった着信やメールに応答すると、あっという間に2,3時間経過します。)

 

しかし、現在、初めての方には、一から十まで説明していた難儀が、公式ホームページなる頼もしき存在に依りて、見違えるほど緩和されました‼

有り体に申しますと、開設に於いて高額な費用は掛かりましたし、月々も発生する額があります。だいたい、私は、沽券にかかわるとの思いや集客のために開設した訳でもありませんし、ホームページ上で予約が処理出来る訳でもありません。けれど、何と言いますか・・。銭金に換えられない精神衛生上の健康を得たのです。

 

それでも時々、座ってご飯を食べれたとしても、忙しさのあまり、赤ちゃんの離乳食を自分の口に運んでしまうことがありますがね(笑)

 

そう、こんな中で、祝詞を作成していく訳です。

『生半可な内容にしてはならない。』彼女の覚悟を受けて、自分を律する意味でも久方ぶりに、祝詞作文事典なるものを引っ張り出したりなんかして。

 

ここで、豆知識です(笑)

祝詞の作成には、諸々決まりがあります。

そもそも、祝詞は『冒頭の表現』『核心部の表現』『結びの表現』と三要素から成り立ちます。冒頭では祭神を憚ることを要します。殊に核心部は大事で、ここで流動的でありながらも慣用句や主要な修飾句を取り入れ、その修祓の趣旨を展開するのです。その中身には、手掛ける神職の感性とセンスが込められます。

 

もちろん、固有名詞を除く殆どの言葉は、大和言葉に置き換えますから、古語辞典もフル活用です。そのアナログな私の状(さま)を見て、進学校に通う高校生組が異口同音に

「電子辞書貸すよ?」

この平成生まれめ!(笑)

 

それで、結びの表現はと言うと、有難いことに定型的なのです。

祝詞を奏上してもらう間、『まだかなぁ~。何て言ってんのかよく分からないし、有難いんだけど退屈だなぁ~。』などと、皆さんも経験があるはずですが、何となく「恐み恐みも白す。」って聞こえたら、『終わりかな?顔上げていいかな?』となるのではないですか?

そう!その文句が結びの表現です。(他にも、「慎み敬ひも申す。」とか、「乞い祷ぎ奉らくと白す。」とか。)

 

今回は特に大義を果たすべく、私の浅知恵でも総動員すると、我ながら感慨深い祝詞が誕生したようですが、実はここからまた、ひと仕事です。まだ、終わりじゃないんです(泣)

 

清書をするに当たって、祝詞用紙の下の方に神さまの名を書くようなことになってしまっては、祭神に失礼に値するため、必ず上の方に神さまの名が来るように全体的に文章を足したり引いたりします。尚且つ、文の上部と下部を綺麗に列を揃えて清書せねばならぬという、作業が残っていますからね。

 

※修祓・祈願に付き物の祝詞は得てして完成するわけです。単純にお賽銭箱の前で願いを伝えるより、予てから大神さまと信頼関係の厚い神職が、大神さまの受け取り易い清らかで洗練された大和言葉を用いて、願事(ねぎごと)を申すことの方が聞き上げて貰い易いはずだと理解出来るはずです。

 

こうして、当日の祈願祭を迎えたわけですが、更に心を合わせて頂くため、祝詞にどんなことを挙げたのかを簡単にお伝えしました。

 

祝詞はお経のように抑揚が難しく決められてはおりません。私は自分に限らず、齋主のその時のコンディションや、修祓や祈願を受ける人、またその目的(あてどのところ)に依っても、声色が違ったり、途中で変化するのを感じます。

それに加え、私は祝詞を奏上しながら、御神託も同時に賜り、映像を視させられたりもしています。例えば、水子供養祝詞を奏上しながら浄化する赤ちゃんの言葉や様子を、また厄祓いの祝詞を奏上しながら御神託とそれに関するビジョンを視ている・・と、言った具合です。

 

今回の依頼で作成した祝詞は、素晴らしい出来栄えだと、自負しておりました。すると、願い主の彼女も、そして大神さまも次の御神託に表せられるように、大絶賛くださいました。

 

「(世の為に祈るなど)なんとも、なんとも、素晴らしい。そして齋主に(私に)この祝詞を書かせたのは、他ならぬそなたじゃ。宮崎神宮に参れ。鈴を手向けようぞ。子孫(うみのこ)に至るまで、しっかりと護らむ。」

託宣を伝えながら、私にはその鈴の形や大きさ、色が視えていました。受け取り方と共にそれを彼女に伝え、無事祈願祭を終えました。

 

その週末、早速、子供たちと宮崎神宮に参拝した彼女、神宮に着くと道中の強い雨も止み、参拝をしようと拝殿に上がったその時、鈴の音が‼

本殿で、何やら修祓が執り行われていたそうです。勿論、偶然ではありません。このようにして、神仏はその存在と結付を感じさせてくださるものです。

 

律儀にその後の御報告までくださいまして、立派に“神助け”をなさった彼女には、来し方行く末の人生、必ずや“人助け”をする以上に積んだ徳が、想像もつかない程の幸せをもたらすことになることでしょう‼

 

コロナ感染関連においては、県外の美容室を営む方も、疫病除の効験がある霊符を三体購入され、自分・従業員・そして世界中の人のため、と祈りを続けておられますことを併せてご紹介致したく存じます。

 

他にも、ある福岡の女性のことです。もう、随分前からの氏子さんですが、いつも大神さまへ心尽くしの味物(ためつもの)を頂戴し、その撤下品を私も馳走に預かっているのですが、ある日、珍しく当日になってキャンセルをなさいました。すべからく、キャンセル料はお支払い頂いたのですが、それのみならず、

「私がもっと早くご連絡していれば、お困りの方がそこに入れたはずなのに、ごめんなさい。先生、その方の悩みが早く解決するように祈願をしてあげてください。」

と、キャンセル待ちをされていた知らない方のために、祈願を施して欲しいと追加の初穂料をお納めくださいました。この方の過去世の多くは、シスターや、女性宣教師、尼僧など殆どが聖職者として転生しているだけあって、大神さまへの向き合い方は言うも更なりです。

 

また、市外から来られたある方は、その被害者の身内でも何でもありませんが、ニュースで知ったいじめ問題等に心を痛ませられ、教育委員会に正しい調査と然るべき在り方を求めたい旨を願事(ねぎごと)とし、特殊祈願を望まれました。

 

これらぞ、大我なるものなのです‼

エクセレント‼‼

 

 

ところで、待合室に「次の方、どうぞ~!」と呼びに行くと、そこには、ふた組・・。

 

そうです!やってしまいました‼

 

“ダブルブッキング”

あ~‼ 私が、“PTA”の次に苦手な言葉(笑)

 

「すみません。」

「いえ、こちらこそ、すみません。」

「いえいえ、一番悪いのは私ですから、お二人が謝り合わないでください。本当に申し訳ございません。」

 

『奪い合えば足らぬ 分け合えば余る』

東日本大震災にて、未曽有の惨事に惑う人々が溢れる避難所を目の当たりにして、大神さまが、このように言われたことをふと思い出しました。そんな非常事態でも、日本人であるを隠しきれぬ御前上等の言の葉でした。

 

有難いことに、こんな時、いつも御相談者同士がお互いに譲り合ってくださいまして、いずれかの方に出直して頂けることとなり、私は事無きを得ています。そうして、快く出直してくださった方には、二の足を踏ませてしまったお詫びの車代と、御相談中にいつもより多くの笑顔を振りまいております(笑)

 

そして実は、私、自分でやらかした“ダブルブッキング”ですが、そこに譲り合う麗しい状(さま)を見て、

「日本人っていいなぁ・・。日本に生まれてよかったなぁ。」

と、不謹慎にもひとりほくそ笑んでいるのです。昨今のマスクのおかげ、その下で口角が緩んでいることをバレる訳にはいかないのです(笑)